うそかえ神事(大阪道明寺天満宮)
 


2009年1月25日、鷽替え神事 
センスあふれるポスター

かえましょ〜〜! 替えましょ〜〜〜 

2009年1月25日、学問の神様で有名な菅原道真公をお祭りする大阪府南河内「道明寺天満宮」の鷽替え神事(うそかえしんじ)に行ってきました。

道真公は、土師氏の出身だそうです。
大宰府に流される時に叔母が住む南河内の土師ノ里の屋敷にお別れの挨拶に立ち寄ったと伝わっています。その屋敷跡に建てられたのが道明寺天満宮なのですね。

この日(午前中、一回目)は時々雪がちらつく寒い日にもかかわらず境内はすごい人出でとてもながぁ〜い列が出来ていました。

開始時間になると、一人ひとりに白い紙袋に入った「木彫りの鷽(うそ)」が配布されます。袋の口はしっかり閉ざされていて中は見えません。

その袋を頭上高く掲げて、「かえましょう! かえましょう! 」と言いながら境内で次々と交換してゆくのです。(上記の写真)

たくさんの人と取り替えるほど去年の厄が払える。
または凶事をウソにして幸運と取り替えることができると言われています。
中には背の高い外人さんもいて、珍しそうにニコニコしながら紙袋を交換して歩いていました。彼はこのイベント? の意味が判っているのかな?

「ドーン、ドドーン」

太鼓の合図が鳴ると終了です。
そのときに初めて紙袋を開けて中を見ます。

「金」という文字、「銀」という文字、「木」という文字が、木彫りの鷽に書かれている人は、社務所に持っていくと「すばらしい何か?」…を授けていただけるらしいです。

開始前に行列に一緒に並んでいた近くの氏子さんの話によると「十年近く道明寺の鷽替え神事にきているけれどまだ一度も当たったことがない」とのことでした。

……もしかして今年の幸運は、わたしたちの頭上に? なんて、期待しながら境内を回って、ものすごくたくさんの人と鷽を交換したのですが……結果は……、はずれ(何の印もない鷽)でした。
はずれの人はそのまま袋に入った鷽を頂いて帰ることができます。

梅の満開にはまだ早いですよ〜〜


菅原道真公は25日と言う日にとても縁が深く、生まれた日も流された日も亡くなった日も25日だったとのこと。

しかし、本来は大宰府に流された日は旧暦の1月25日なのです。だから、今年で言うと、旧暦1月25日は太陽暦の2月19日になるわけです。
「東風吹かば 匂いよこせよ 梅の花 主なしとて 春なわすれそ」の句は大宰府に流される前に梅の花が咲き誇る庭で読んだ有名な歌ですね。

道真公が歌にまで詠んで愛したこの梅は主を慕って太宰府まで飛んでいった。(とび梅)という伝説さえ伝わっているほどです。このように道真公と梅は切っても切れない関係にあります。

今のカレンダーの1月25日では、まだまだ梅の花のつぼみは固く、神社の盆梅展に出品されていた枝振りの良い立派な梅の盆栽もまるで枯れ木のようでした。

これを書いている今(二月末)は梅が真っ盛り。
夕方、我が家のダニー君(犬)と散歩をしていると、ご近所の庭からなんともいえない良い香りが漂ってきます。

古代は花と言えば梅の花のことでした。桜も華やかですが・・・香りはなんといっても梅が最高ですね。万葉集や古今和歌集などには季節の移ろいを読んだ秀歌がたくさんあります。これらの歌を鑑賞するには「旧暦」が頭に入っていないと、ピント外れになるのでは? 

道真公の鷽替え神事も梅の花が満開の時に、梅の香りを肌で感じながらするほうがいいのになあ〜〜 なんて思ったのですが? 

そういえば七草粥や桃の節句も旧暦で行わないと、七草も桃の花も手に入りません。スーパーのパックでしかお目にかかれないなんて……本来の季節感が判らなくなってしまうというのは……なんだか寂しい気がします……。(写真は盆梅展に出展されていた一本の木から紅白の梅の枝が伸びている珍しい木です。この木だけがわずかに花をつけていたので、目につきました。)

箱の中身はなんじゃろ〜なっ?

写真は銀と金の印の入った鷽があたった人に授けられる景品。中に何が入っているのか、とても気になりますね。

そこで皆さんに大公開しまーす。

後日、大阪、阿倍王子神社の勉強会に来られた方が、「銀の鷽が当たりました」と言って、2月の勉強会に持ってきてくださいました。

中には、桐の箱に入ったこんな立派な銀色の鷽が入っていました。(下の写真)

いいなぁ〜〜(^o^)丿。

彼は新婚さんで奥さんと一緒に鷽替え神事に始めて参加したそうです。
きっと、どんどん幸運が舞い込んでくることでしょうね。
境内でわたし達をちらっと見かけたけれど、人並みに押されているうちに見失ってしまったとのことでした。

ちなみに「金の鷽」はたった1個だけだそうです。どなたが当たったのでしょうね?
「銀の鷽」は10個です。
わたしが☆銀の 鷽です☆ えっへん。
(10ヶの内の1個)

福岡の太宰府天満宮
受験シーズンを迎えた大宰府天満宮は参拝者の列が延々と続いていました。
受験生の守り神、天神様

さて、上の写真は福岡の太宰府天満宮の1月10日の写真です。

今年の初めの勉強会(1月7日)で皆さんにうそかえ神事という珍しい神事があることをお話して、わたしたちは1月25日に近くの道明寺天満宮の鷽替え神事に行くつもりだと話しました。

その後、1月9日の福岡県での講演が終わった次の日、前回のコラムでご報告したように主催者のお二人に金印の志賀海神社に案内して頂きました。

帰りの新幹線までまだ少し時間があるのでそのお二人が、
「天満宮に行きましょうか」

(唖然! 天満宮が近くにあったんだ……。)

お二人には25日に道明寺の天満宮のうそかえ神事に行くということは一言も話していなかったし、わたしたちも太宰府天満宮に行く予定はまったくなかったのですが……もしかして道真公が道明寺の叔母さんに何か言付けでもあったかも? 
それで、わざわざ時間を作って本家の大宰府天満宮に呼ばれたのかも? と、いっても……霊能のないわたしには何のメッセージも聞こえませんし、何も託されなかったのですが・・・どうなんでしょうか? 何か不思議な流れを感じてしまう私です。



道真公は大宰府に流されて無念の思いを抱いたままこの天満宮の地で亡くなったとのことです。道真公が亡くなって以来、京の都では天変地異や疫病がはやり、宮中の清涼殿に雷が落ちて大納言や道真公を流した関係者が次々と死に、天皇の御子、二人もあいついで急死。

ついに、讒言した張本人の仇敵左大臣藤原時平も39歳の若さで亡くなります。都の人々は、これらはすべて道真公の祟りと噂しました。

以来、百年ほどの間、道真公の魂を慰めるために、ゆかりの地に立派な神社を建て、道真公の名誉を回復し、鎮魂するのに懸命でした。それでも落雷や大災害が起きる度に、人々は震え上がったそうです。

大宰府に流された翌年(1月7日)神事の最中に蜂の大群が道真公を襲った時、一群のうそ鳥が飛来して蜂を食いつくし、その場を救ったというのが「うそかえ神事」の由来だそうです。

今では怨霊の性格はすっかり消えて、学問の神様として日本各地にお祭され、特に受験シーズンには合格祈願の人で賑わっています。

話はとうとつに変わりますが、
あつあつの「梅ヶ枝餅(うめがえもち)」がとってもおいしかったです。


うそかえ神事は他にも各地の天満宮で行われているようですよ。
人間が吐いたウソによっておとしめられ非業の死を遂げた道真公のような人が二度と出ないように、みなさんも来年は近くの天満宮での「うそかえ神事」にぜひ、参加してくださいね。

道明寺天満宮(大阪南河内)では毎年1月25日、午前11時と午後3時の二回あります。(近鉄河内長野線、道明寺下車すぐ)。



右の写真は、数え切れないほどの人と取り替えて最後にわたし達が授かった鷽のお守りが、エーゲ海に行った時の記念写真でぇ〜す。









ウソだよぉ〜〜ん(^o^)丿


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