みなさん 初めまして、このホームページの片隅を借りまして、ケニア旅行に関わることなど少し書きつづります、題して「宿六日記」、と云うほどたいしたものではありません。

第一章 なぜアフリカか なぜケニアなのか
「アフリカに行きたい、ケニアへ行きたい」、そういうと「なんでアフリカなんかに」と云う答えが返ってくる、一番多くそう答えたのが、女房である、私にもこたえた(笑)。
 そもそもは山川惣治さんの「少年ケニア」です。もともとは紙芝居だったものを、変形ハードカバーの本として売り出した。全部で15巻ほどであったかと記憶している。小学生の時に、父が札幌に出張の度に一冊づつ買ってきてくれた。私の住んでいた田舎町の本屋(ご免なさい)では入手できなかった。毎日むさぼるようにして読んでいた。
 主人公は村上ワタル少年、動物学者の父と乗っていた飛行機が墜落して、ケニアの草原にただ一人放り出される。顔以上に腹が黒い甥に部落を追われ、殺されかかっていたマサイの大酋長ゼガを助ける。そこからワタルの父を捜す、ゼガの復権を目指す大冒険が始まる。悪い呪術師に利用されていた金髪の美少女ケート(美少女は金髪でなきゃ)を助け出し、三人の旅となる。ゼガの昔からの友達、大蛇ダーナとアフリカ象のボス(名前が浮かんでこない)が三人の旅を助ける。特に大蛇ダーナは、マサイ村の後ろにある大きな底なし沼の中にある秘密の沈まない道を知っていて、それを覚えたゼガやワタルは、危ないときにはその道を使って難を逃れる(ちょっとずるいと子供心に思った)。
 ケニアの草原や密林が主な舞台だが、途中でネタがつきたのか(笑)、流砂に呑み込まれてついた先は、なんと地底の太古の恐竜の世界だっ!!!。天井は石(?)で出来た高い高い円形のドーム状になっていて、その頂上にある丸い穴から、地上の光がもれ、ちょうど太陽のように見えるという想定だった。
 では、ここで問題です。ワタル、ゼガ、ケートの三人はどうやってこの地底の恐竜王国から地上に戻ることが出来たのでしょうか?答えはの文の一番最後(笑)にあります。
 という訳でアフリカ、ケニアの地は子供の頃からの憧れだった、今の子供で云うと、宇宙旅行に匹敵するものだろう、夢ではあるが、手の届かない夢ではない。

第二章 アフリカは遠かった
 二十年ほど前、ナイロビにいた女房の友達に誘われて、家族でケニアへ行こうとした。しかし、旅行会社のお兄さんの「子供連れでケニアへ行く人なんかいませんヨ」の一言で、計画は頓挫。それ以降なんどか「ケニアへ行こう」と誘っても女房は一切乗ってこない。それでも去年あたりから態度が少し軟化してきたので、ケニアサファリツアーをいくつか予約したが、すべて「人数が集まりませんので催行中止となりました」との返事ばかり。女房は我が意を得たとばかり「ほら、誰も行かないっしょ」と云う。何人かの友達にも「アフリカに行かないか」と誘ったが、誰も行くとは云わない。友達甲斐がないと云うか、良識があると云うか(笑)、こういうしっかりした友達がいると云うことは実に頼もしい(T_T)。対象を男性に限定したのが敗因かも、(^^ゞ
 今年の冬、アフリカから方向転換を余儀なくされ、オーロラを見に行こうと思いたった。ちょうど太陽の磁気嵐が活発になり、11年周期のオーロラの出やすい時期。ケニアから一転して、アラスカ、カナダ、極北部への旅だ、色々と調べていくうちに「オーロラはそう簡単には見えそうにない」と云うことだった。オーロラというと七色のカーテンが想像されるが、どうも空の一部がうすぼんやりとした緑色になるだけでも「オーロラ」と呼ぶらしい、曇り空になったらそれも見えないとのこと。どうやら想像とは大分かけ離れた代物。オーロラを見に行って「ただ寒かった」だけではあまりにもしまらない、こちとら北海道生まれ、寒い所にわざわざ出かけていくなんて、、、でオーロラは幻となって消え去った。
 やはり初志貫徹、行くならケニア、そうは思ったが、相変わらず女房のガードは固く、ついに敗北宣言「わかった、それほどに行きたくないなら、ケニアは諦めた、そのかわり俺が死んだら、遺灰をケニアの草原に撒いてくれ、子供でも孫でも誰でも良い、香典の一部を旅費に充ててくれ」。その一言で、女房が折れた、「そんなに云うなら、死んだ気になってケニアに行こう」。その言葉を聞いて、目頭が熱くなった。今でもその時の光景を思い出すとディスプレーの文字が滲んでくる。(ホントです、ホントだって!!!)


第三章 ツアー選びのポイント
 ツアーを選ぶときのポイント、と云っても今回私が選んだポイントであって、他人様のお役には立たないと思います。ケニアのサファリツアーには、草原の中のテントに泊まるというのもあるが、気乗りをしない人を無理強いをして連れて行くのだから、出来るだけ快適な環境を提供する、ここの一点がすべての基準だ。飛行機は日本の会社+エミレーツ航空、なにせUAEが金に任せて作った航空会社、飛行機の綺麗さと食事の美味しさには定評がある。それは期待通りだった、多少お高くてもエミレーツ航空が断然お薦め。
 ケニアサファリの訪問地はいくつかあるが、私の行きたかった所は、フラミンゴのナクル湖、キリマンジャロの見えるアンボセリ、そして動物王国マサイマラあたり。木の上の観察ロッジから夜集まってくる動物を見るアバーディアも魅力的だが、「動物が来ましたよ」の合図を聞くことなく朝を迎えた(ただ眠り込んでいたのかも?)という人も多いらしく、第一住環境が非常に悪そうなので、アバーディアは外した。そして、こだわったのがマサイマラのムパタサファリロッジ、なにせ途中どのロッジにはバスタブがない。ムパタサファリクラブのジャグジーに風呂代わりに入ろうという魂胆、これは大正解。でも、ジャグジーの中で入浴剤、石鹸は使いません。水着着用です。
 そうそう、行く前の大事なお仕事に黄熱病の予防接種があった。ケニア往復だけでは、予防接種は義務ではないのだが、帰りにシンガポールでの飛行機の待つ時間がありすぎて、一旦シンガポールに入国するときにイエローカードの呈示が求められる。空港から一歩も出なかったり、欧州廻りであれば不要。尊敬する野口英世博士が心血を注いだ研究結果である、喜び勇んで小樽まで出かけて、予防接種を受けてきた。一緒に受けた女房は翌日から腕が腫れ上がった。効果抜群、私は腫れるどころか何一つ変化はない。本当に注射液を入れていたのか、いまだに疑問(笑)。

                                                         
第四章 アフリカ二人旅
 一応はツアーの筈が二人だけの旅となった、女房「二人だけなのにツアーって云うの?」、「そうツー(two)アー(are)」、喉まで出かかったがやめた。女房の最初の条件は「団体で添乗員付き」、私も同意見、はじめて行くアフリカ、添乗員なしで行くことは考えられない。しかし、去年の「催行中止」の二の舞はご免だ、とりあえず二名から出発のツアーを押さえた。案の定、他の団体ツアーは催行中止、八月に入ってのツアーが二組成立したが、時期と金額の折り合い(笑)がつかなかった。結局二人だけで出発、ケニアに着いてからはスルーガイドがいるものの、「途中二カ所の飛行機の乗継ぎはお客様ご自身で行っていただきます」との冷たい(笑、全日空ハローツアーさんごめん)文字が不安を倍加する。そこでない知恵を絞った。「私達はエミレーツ航空○○便でドバイに行きたい、私達はエミレーツ航空○○便に乗り換えてナイロビに行きたい、エミレーツ航空のカウンターはどこですか」という内容の文章をA4版の紙に印刷して持っていった。口に出して云うと発音、アクセント、イントネーションの違いで正確に伝わらない。紙に書いてあると間違えることはないし、プラカードがわりに持っていれば誰かが助けてくれるだろう。なお英語訳は間違っていた可能性があるので掲載しません(笑)。
結局、その紙は一度も使わなかった。最初に搭乗手続き、座席の指定を全部済ませてくれていた。ご自身(笑)でしたことは、搭乗案内を見て搭乗ゲートを確認しただけだった。
 ナイロビからのガイドのJOHNさんは明るく親切で、楽しく旅行が出来た、ドライバーのカマウさんも長距離を安全にかつスピードを出して走ってくれた。ナクル湖、アンボセリでは、六人乗りのサファリカーに二人だけ、のんびりと気ままな二人旅となった。
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