少年サッカークラブ

猛暑の合宿!(前編)

小学6年の夏・・・・・それは忘れもしない夏の合宿。

千葉県検見川での2泊3日のスケジュール。

2泊だけとはいえ、親元を離れて過ごすのはそれが初めてであった。

それが単なる遊びに行くだけなら気が楽にもなれたかもしれないが・・・・・。

早朝に自宅を出発し、最寄りの駅から参加者全員で列車に揺られて昼前に合宿場に到着。

合宿場とはいっても現在のフィットネスクラブのような所ではなく、とある有名大学の少し年期の

入った研修センターで、道路を挟んで複数のただっ広いグラウンドがあり、そこで練習を行うので

あるが、道路に湧いている蜃気楼を見た瞬間、私は立ちくらみを起こしてしまった。

その体の予言通り、この後過酷な練習が始まる。

まず、練習中の水分補給は一切禁止。 口の中が渇いた時のみ食堂から持ってきた熱い麦茶で

うがいが許される。

次に、休憩は午前と午後一回ずつ(1回約15分)で、残り(午前と午後合わせて8時間)は

ひたすら練習(それもそのほとんどは走り詰め)である。 

しかもその合宿中は、どの日も猛暑で恐らく40度近い気温になっていたであろう。

私はBチーム(レギュラーでないグループ中心)で練習メニューをこなしていたが、止まらない汗に

立ちくらみ寸前の目に加え、前に出ない足のせいで悔し涙が自然と溢れでていた。

体は ”休め” のサイン、しかしコーチが許してくれない。 それによって心の葛藤をした結果である。

  「Aチームはどうしているんだろうか」 と思ったその時、彼方からかけ声とともにAチームが

やってきた。 しかし誰一人として平然としている者はなく、ほとんどが泣き顔でなかには声が

枯れている者もいた。

後で分かったのであるが、あの時Aチームがこなしていたメニューは、すべてマラソンか

ダッシュといった走り中心の練習で、しかも猛暑のなかで長時間行った為、気持ちに余裕がなくなり

泣く人が続出したと言うことである。

 「私なんかまだ序の口、レギュラーの人達は超過酷なメニューをこなしているんだから頑張らないと。」

そう感じた。

でも合宿が過酷なことばかりでないことは、この後練習終了後にタップリと味わえるのである。

練習がキツかった分だけ・・・・・。

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