仏教の修行とは、言うなれば「素晴らしき我が人生」と言うべき映画を作ることです。自分で脚本を書いて、自分で主役を演じて、自分で監督をして、感動的な映画を作るわけです。だから、のんべんだらりとした退屈なシナリオでは意味がありません。楽しいときは楽しみ、苦しい時は苦しみ、もがく時はとことんもがく、根性の悪い輩はこれでもかと攻撃して来る、それでいいのです。それでも上を向いて踏ん張る、打ちのめされること度々なれども、人に尽くし人に助けられて、何時でもどん底から這い上がって歓喜の時を得る。そして、今回の人生も面白かった、色々あったけど実に感動的だったという作品を是非作って頂きたいのです。そして人生は一回限りではない、何度でも生まれ変わってチャレンジできることを知ってもらいたい、最後の最後まで活き活きとした人生を送るために、是非とも法華経信仰の力を得て頂きたい、それが私たちの方針です。
「青春とは人生のある時期を指すのではなく、心のありようである。それは意欲の高さであり、創造力の質であり、情熱の力であり、臆病を克服する勇気と安易に染まらない冒険心に溢れることである」サミュエル・ウルマン(土屋信裕訳)
Youth is not a time of life - it is a state of mind; it is a temper of
the will, a quality of imahination, a vigor of the emotions, a predominance
of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.
(Samuel Ullman)
善いことをすれば必ず善い結果を生じる、悪いことをすれば必ず悪い結果を生じる、お釈迦様は人々が理想の世界を築くように善因善果、悪因悪果の教えを説かれました。でも、善い人が悲惨な目に遭って、悪い人が至福の生活を送っているのを見聞きしませんか?お釈迦様は、一切皆苦と言われました。それはこの世が不条理に満ちていることを意味します。なぜならば、すべての人が煩悩を持っている、煩悩を持っていない人はいないからです。したがって、実際には苦しみは過去に善い行いをしていても起こります。例えば、もし上司の不正を明らかにしようとすれば、その上司から迫害を受けることでしょう。上司の不正を明らかにしようとすることは、悪い行いではありません。その苦しみは、あなたの過去世の悪い行いからもたらされたものでもはありません。しかしながら、過去世に悪い行いをしていたからこそ、現世では正しい行いをするのかも知れません。なぜならば、それはお釈迦様の教えを聞いたからです。プレッシャーに負けなければ、すべては上手くいきます。さあ、不安を取り除く方法を修得して、自信を持って生きる道を一緒に歩みましょう!
顕本法華宗義弘通所 代表理事 土屋信裕
東京染井霊園法林山蓮華寺昭和36年出生。顕本法華宗管長、故土屋日宏を祖父。35歳で顕本法華宗の教師となる。航空自衛隊F-4戦闘機幹部操縦士、大手商社を経て航空会社の機長として、国際線・国内線を飛行する傍ら、アジアの仏教界と協賛して行う布教活動を同志と共に推進。インド・カンボジアの僧侶延べ4千人を動員し、2万冊の要約「妙法蓮華経」(現地語訳)を配布。現在、欧米やアジアなどに布教の拠点を開設。「法華行者の会」主宰、顕本法華宗布教師、教学研究所員歴任。著書に「明解法華経要義」本多日生(講述)、「日蓮聖人五大部要義」本多日生(講述)海鳥社。
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