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その他・考えること
子供の頃から何か圧倒的な大きさや拡がり・量感に対面すると、自分がとても「スカスカな存在」だと感じる。「その時・その場」の感覚や認識と過去の経験や知識とが「ずれる瞬間」。その一瞬の僕という意識・領域はどうなっているのだろうと考える。
例えば、夏の晴れた日に草むらに仰向けになり、空を見上げる。空はどこまでも高く、雲は異常なほどはっきりと見えてくる。実感の伴わない数字の知識が余計に僕の感覚を惑わせる。しばらくぼうっと眺めていると、まるで空に自分が吸い込まれてしまいそうになる。あわてて起きあがり、手に触れる草や地面の感触を確かめてみる。
例えば、海で素潜りをする。しばらく波間を漂い、底を目指して水を蹴る。水中メガネ越しの世界。海底までは遠くにも近くにも思える。一瞬、距離が把握出来なくなる。軽く身体を押さえつける水圧。水の抵抗。それに気付くとまわりの水が急に重く感じて押し潰されそうになる。水に持ち上げられて水面に戻り、大きく息を吸い込んで、潰された自分を少し膨らませようとする。
例えば、電車に乗って窓の外を眺める。街が、僕の目の前を動いていく。大きな看板や建物が眼に飛び込んで来ては流れていく。遠くにあるモノはゆっくり、近くにあるモノは速く。線路に並んで走る電線や線路だけが僕と同じ場所で揺れている事に気付く。駅に近付き街の動きがゆっくりになると、さっきまで僕の目の前で揺れていた電線や線路は、何もなかったかのように固定された状態で動かない。僕は少しまばたきをして、街の動きに同化する為に電車を降りる。
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