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みゅーじんFile.


〜 第9回 〜 2005.11.26 Sat

音楽家

服部克久

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みゅーじんファイル、服部克久。







昭和の大作曲家、服部良一さんの長男として生まれた彼は、
幼い頃から音楽ひとすじの生活の中で、独自の才能を発揮。
その功績はあらゆる分野に及んでいます。

ではそんな彼にとって父の存在とは。






曲ができあがると、「お〜いできたぞ〜」
って言うからみんなバーって、降りてくと、
「こんな曲だよ〜」ってこう弾いて。

で「どう?」っていうからまぁ、
子供は子供なりにね、歌いにくいとか
いろんなこと言うよね。
服部良一先生っていうのが
どういう人か知らないからみんな。

で、もちろん直さないんだけど
「ん〜あぁそうかそうか」っという感じで。

だから一番先に聴くのは、まぁ
私たち家族だったね。そこは。






そして、父の才能を受け継いだ克久さんもまた、
当然のように作曲家に。






「私は 作曲家です!」とかさ、何とかですってこう、
言うのはずっと抵抗が 今でもあるね。こうなんとなく、
抵抗っていうかこう照れくさい。うん。自分の仕事がね。

「作曲家」っとかっていうのは、あれはやっぱり
水商売だからね。だってあんなもの、曲書いて
当たんなかったら馬券みたいにビッて破って捨てないと
しょうがないじゃん。(笑) 誰も買ってくれないんだったら。






では、作曲家ならではのテクニックとして、
彼は具体的にどうやって曲をつくっているのでしょうか。






え〜っとあんまりテレビでばらしたくないんだけど、
芯になる 聞こえてくるのアレンジする場合も まぁ
メロディーだからね。そのメロディーを、何にするか
っていうのをこう、あの〜〜最初に書いて。
それから、それをどういうハーモニーで、
動かしていけばいいかっていうそのハーモニーを書いて。

人間っていうのは面白いもんで何でかたとえば、こう〜
曲聴いてるでしょ? ま演奏曲なんか。そうするとね、
「あっ、今ここでこれが出ればいいのに」っと思ったら
サックスがパーっと出てきて「あ〜よかった」って思うじゃない。

なんか痒いとこに ね、あの〜手がいくようなそういうような、
感じっていうのは 理屈じゃなくて、なんか自分がこう〜
何回も何回も何回もその音を聴いてるうちに、こうまぁ、
「こうしたらいいんじゃないかな」っていうのが浮かんでくんだね。






ならば、同じ作曲でも、アレンジという側面で考えた場合、
そこには、どんな彼なりの思い入れが注ぎ込まれているのでしょう。






アレンジをするってことは、その〜、メロディーなり
そこに歌う人なりが、そのいかにステージで良く見えるか
っていうことをねまず考えるんですよね。

アイツがこうパッと立ったときに、
「この音が流れたらアイツはカッコよく見えるよね〜」
っていう、のを自分がワクワクするわけ。

するとやっぱり案の定、その前奏で出てくると
もうそいつすごいカッコよく、見えてるし、
それから歌い出すと、すごく気持ちよさそうだしね。

だからそういうことを、が好きなんですね。まぁ。






最後にぜひ、音楽を目指す人たちにメッセージを。






っていうのは、やっていって、それで初めて
チャンスが来て 来たときにはもう
死にもの狂いで一生懸命やるっていう。

なるべく あの〜若いときは、あの〜いろんな、
音楽聴いて、やっぱり、骨董屋さんがよくね、あの
「いいもんと悪いもんと見分けるのはたくさん見ることだ」
っていうそれと同じで。その中で自分の好きなものを
決めて、で「これをやる」っと決めたらもうそれをやる。
それで、自分が売り込むっていうそれしか、ない、ですね。






人生そのものが音楽。



音遊人
服部克久


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