音遊人 TOP

音遊人
みゅーじん


〜 第6回 〜 2004.05.07 Fri

ジャズピアニスト

秋吉敏子

←第5回 第7回→




音遊人(みゅーじん)

この番組は、YAMAHAの提供で お送りします。







日本が誇る世界のジャズピアニスト、秋吉敏子。

ビックバンドのリーダーとして、
グラミー賞11回ノミネートという栄光をもちながら、
自らのバンドを解散したのは 昨年のこと。

なぜ彼女は、再び独りのピアニストに
戻る道を選んだのでしょう。






そうね、もうちょっとピアノ
上手くなんないといけないってことがあって。
やることはいくらでもあるのでね。






ただ単に「ピアノが上手くなりたい」

そんな気持ちが芽生えはじめたのは、
彼女がまだ満州にいた6歳の頃からだといいます。






ピアノが、いつも、異常に好きで。
朝、学校に行く前にピアノを弾いてて、
母から「時間ですよ」って言われるぐらい、
ピアノに熱中してましたから。






終戦に伴い、日本に戻った秋吉さんは、
ダンスホールでのアルバイトを機に、
ジャズという音楽にのめり込んでいったのです。






戦前、戦中、つまり、終戦になる前は、
序列ってのかな、だいたいこう、
子供は学校に行ったら先生に従い、
うちでは親に従い っていうふうにこう
「ピシッ」っとこうなってて、
まぁ子供はそれで安心していられた
ってことがあると思うんですね。

ある意味では、終戦になった途端に
そういう秩序ってのは壊れたってことが
いえると思うんですよ。

たとえば、ダンスホールに勤めるなんてことは、
戦争が終わらなかったらできなかっただろうし。(笑)






そして1956年、
単身アメリカに渡った秋吉さんは、
そこで得たさまざまな出逢いの中から、
やがて世界のトップへと上りつめる。






本当に、ジャズが好きで。
で、自分が少しでも上達したいっていう気持ちが
なければ、上手くなる必要なかったんで。

それで あたくしは、あの〜
「もうちょっと上手くなりたい」
っていう頭があって。

それで結局、結果的に
先端になったんだと思いますね。(笑)






もっと、もっと・・・。

既に世界に認められながら、74歳にして、
「さらにピアノが上手くなりたい」

その情熱は、まさに眩しいくらい。



生涯ジャズピアニスト。

音遊人
秋吉敏子







この番組は、YAMAHAの提供で お送りしました。



PAGE TOP