夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> |
4.1.1.10 病葉とならないために |
1999年2月26日 森みつぐ
ほとんど社会というものを知らないまま、会社勤務が始まる。企業は、利潤追求(雇用安定)のためには、法さえも無視し労働者の権利を侵害する。企業内協調性は、「みんなで渡れば恐くない」方式の村社会を構成し、冠婚葬祭まで面倒を見る。そして、仕事以外の他の共同体への参加を極力望まない。
企業倫理は、このような会社理念の中で生まれるが故に、特異な性質を帯びている。会社以外の共同体の影響を、ほとんど受けなかった労働者は、企業論理という大海原に浸ってしまいアイデンティティは、この企業論理の上に成立してしまう。従って、労働者は、この企業論理の及ぶ範疇の中でしか自分自身の存在価値を見いだせない。会社を辞めたとき、家庭の中で、一般社会の中で自分の居場所を見つけられないのである。
全人格を会社に預けてしまった労働者には、問題提起を受けたとき、選択の余地を持たないため会社の言いなりにならざるを得ないのである。
一つのことに傾注することの素晴らしさは、云うまでもないが、飽くまでも特殊な価値観の中での選択幅の無さは、会社の思う壺である。私たちは、もっと広い視野の中で考え判断し行動する必要がある。自律と自立が、私たちに課せられた責務であろう。
そして社会の一員として生活してゆくためにも必要なことである。
大人の社会を会社の中に構築しない限り、上辺だけの雇用安定という言葉の暴力のために、労働者の権利は踏み躙まれ続けるだろう。人権侵害という違法行為は、人間として越えてはならない一線を踏み越えることである。
人権侵害は、雇用安定の最終手段であってはならない。どんな時にも、法律の範疇で問題を解決する必要がある。
私たちは、多様な価値観という天球の星座を、一つひとつ見ることにより、視野を少しずつ広げアイデンティティの光を増すことになるだろう。命が輝いているうちに、病葉とならないために、今何をすべきかを真剣に考えなければならないだろう。
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