夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標>
夢惑う世界4.1.1.3 何故、人を殺してはいけないのか
2000年7月15日  森みつぐ

 人は、何故、人を殺してはいけないのでしょうか。
 人は、人類史の中から多くの人々を殺戮してきたことを見て取ることができます。そして、今でも大量殺戮が繰り返されています。国土を拡げるため、国益を護るため、そして民族対立、宗教対立と様々な要因が考えられます。
 戦争では、勝利国が正しかったことになり、敗戦国は勝利国側に裁かれることになります。本当に、それが正しいことでしょうか。勝利国においては、多くの人々を殺した人が英雄として褒め称えられます。
 これらは、集団と集団とのエゴのぶつかり合いか、もしくは一方的な殺戮です。殺戮を行うための大義名分は、自己を正当化するだけのものです。
 同じ価値観を持つ集団内においての個人間の殺しに関しては、多くの集団において秩序維持等の観点から認められない行為として受け止められてきたと考えられます。越えてはならない一線を画すことによって、人間の倫理観は、育まれてきました。
 人は、集団生活をする動物です。その集団生活の秩序を維持するためには、多くの制約事項が生じてきます。窃盗、買売春もそうでしょう。人には、欲求という物があります。支配欲、性欲、食欲等々。しかしそれらを欲するがままに行動していたら、集団としての秩序を保つことができなくなるのです。それ故規則というものが必要になってきます。人の心が弱いだけではありません。あまりにも欲動が大きいのです。したがって、その欲動を抑える手段が必要となります。それが、罰です。それさえも、自己が確立していないと一時的に昂ぶる衝動には敵いません。
 人には、自由に生きる権利があります。ところが、この自由の権利も集団の秩序を乱してはなりません。この自由も、規制の下での自由であることを忘れてはなりません。ただ集団そのものが規制を無視していたら、この限りではありませんが。人を殺すことによって、集団の秩序を乱すことになります。そうすれば、罰を受けることになるでしょう。
 生き物は誕生したら、次の世代に子孫を遺すために生き続け生を全うします。動物の中には、テリトリーを持ち、これを侵犯する物に攻撃を加え、その結果として殺し合うこともあります。しかし、それも生き抜くために殺すのであって、殺してみたくて殺す訳ではありません。生き物は、いつもこの緊張感の中で生きています。野生動物は、この緊張感があるからこそ、素晴らしい体躯をしていて環境に適応しているのです。人間の場合は、道具を利用することによって動物界の頂点に立ち、この緊張感を和らげました。集団生活をする人間にとって、集団内の殺し合いは、集団の力を殺ぐものであって、あってはならないことなのです。私たちは、いつ殺されるか分からないという緊張感の中で生きていけるでしょうか。人間は、集団生活をすることによって、その緊張感を克服してきたのです。進化の過程において。家族を愛し、隣人を愛し、そしてこの地球上の全ての人々を愛することができれば、どんなに素晴らしいことでしょうか。道徳的、倫理的に人を殺してはいけないということは、集団生活をする人間にとって、人間が人間として生きてゆくために大切な規則なのです。

Copyright (C) 2001 森みつぐ    /// 更新:2001年6月17日 ///