夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標>
夢惑う世界4.1.1.4 企業論理の呪縛
1999年4月23日  森みつぐ

 生産性を上げるために、様々な方法にチャレンジしてきた。そして、今でもチャレンジしている。しかし、有効な手段は得られないどころか、信頼性向上等の新たな業務が増え続けている。
 管理者は、労働者から考え学ぶ時間を奪い取ることにより、数字上生産性を向上させてきた。見せかけの生産性向上である。結局、労働者を機械のように働かせ続けているのである。そして、その上保守されることなく。更に、見せかけの生産性向上のために人員削減と短納期物件の増加の伴って労働者一人ひとりに負担を、更に強いることになった。生産性向上に必要な有効な手段が考えつかないので人海戦術に頼っているのである。
 管理者は、無能さをパソコンに向かうことでごまかし、蛸部屋のタコ(労働者)を牛耳ることで、やっと面目を保っているのである。本当の生産性向上ができないと破綻が、まもなくやってくることを知らないで。
 負担は、真面目な労働者、特に会社人間にかかってくる。会社と目的を共にすることから抜けきれない会社人間は、会社のために身を粉にして頑張るが、当然最後は助けてくれない。八方塞がりの会社人間は、それでも責任を会社に押し付けず、最悪の自己破綻へと進んでゆくのである。企業論理に呪縛から解放されない限り、自己破綻を回避するのは難しいだろう。個人が破綻すれば、会社は取り替えればいいだけである。その時、管理者は涙を流しても何ら管理手法が変わる訳ではない。
 「1日は、24時間ある。」このような発言をする管理者は、労働者を赤い血の通った人間だと思っていないのである。生命は、不可逆なものであり、何よりも尊ばれなければならないのであり、どんな場合でもフェールセーフの思想は、護られなければならないのである。
 企業論理の枠内にいると、何が問題かさえも分からないし、もし分かったとしても会社が倒産するよりは、自己破綻の方がいいと考えるのである。会社の倒産は、できる限り避けなければならないが、人命に優るものではない。もし会社が倒産しても、苦しいだろうが、我々は生き続けるだろう。天秤にかけようとするのが、そもそも間違っているのである。
 管理者たちは、企業論理の呪縛から逃れることはできないだろう。ただ労働者よりもタフな分、自己破綻をしないのである。彼らは、相変わらず今まで通りの蛸部屋手法を取り続けるだろう。そして、真の問題解決とならない労働者のプライベートな行動を監視する。
 会社に残された手段は、このまま企業破綻するか、もしくは大胆な組織の再構築をするほかない。しかし今の管理者たちは、何が問題かを認識していないので、本当の意味でのリストラは無理である。それならば、労働者一人ひとりが変わらなければならない。企業論理の呪縛から逃れるために、社会人となって考えることから始めよう。自立と自律を。

Copyright (C) 2001 森みつぐ    /// 更新:2001年5月14日 ///