夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標>
夢惑う世界4.1.1.7 何故、そこまでして働くの
2001年7月24日  森みつぐ

 多くの日本人は、貴重な自分自身の自由な時間を割いてまでして働く。残業、休日出勤、何故、そこまでして働くのだろうか。生きている時間の中で一番費やす時間が、自己確立の上でも、大きな影響を与えることになると思えるから、尚更、真剣に考えなければならないことだろう。私は、サラリーマンである。従って、サラリーマンを想定して考えることにする。

<想定1:好きだから>
 私的な時間を食い潰してまでして働くのだから、好きでないとできないだろう。このような労働者は、公私の区別のしようがないと言うより、何故、私的な時間があるのだろうと思っているのではないだろうか。寝食を含めて、会社と一体化してしまったような人もいるかも知れない。でも本当に好きだから公私の区別なく働くという人がいるのだろうか。私は、そのような人がいると言うことに疑心暗鬼である。サラリーマンは、上からの命令で働くことになる。当然、自分の納得できない仕事でも、しなくてはならない宿命である。自分自身の意図することとは、別のことを行う必要がある。とすると本当に好きだからなんて、年がら年中あるとは思えない。
 好きだからと言うことは、一定以上の賃金や肩書きを超越して働き続けることを意味する。賃金や肩書きを意識して、また目的として、残業や休日出勤をしたときに、好きだからは、既に死に体となってしまう。

<想定2:好きではないが>
 好きではないけれども、残業や休日出勤をしないと仕事が終わらない。皆が残っているから、私だけ先には帰れない。人並みに残業をしないと、リストラの対象になってしまう。残業をしないとローンが返済できない、生活できない。
 これが偽りのない理由ではないのだろうか。好きだから、時間外労働をするなんてあり得ない。しかし、サラリーマンだって好きだから働くと言うことは当然あり得る。好きだからと言う中身には、生き甲斐・働き甲斐が存在するからである。それとて、仕事に自己決定の伴わない(狭い意味での自己決定はあり得る)サラリーマンにとっては、仕事の全てにおいて生き甲斐、働き甲斐を見出すことには無理がある。そこで、定時間という制約、公私の分岐点を設けることが必要不可欠になってくるのである。生き甲斐、働き甲斐は、自己決定可能な私的な時間の中にこそ見出すべきである。そこには、好きだからがあり、そして定年退職はない。
 私としては、全く時間外労働をしない労働環境が最前(当たり前)と思っているのだが、グローバル化という競争至上主義社会への移行に伴って、労働者にとって、更に負担を増す世の中になってきそうである。
 想定2「好きではないが」について、もう少し考えてみることにする。
 ”仕事が終わらないから”については、当然就業時間内に仕事は終わらないのである。そもそも就業時間内に処理できる量よりも多い仕事量を割り当てている(納期を含めて)から当たり前なのである。おかしな話で、就業時間で帰ると会社は儲からない計画となっている。人権侵害も甚だしい。労働基準法で云う労働者(組合員とは違う)ならば、36協定を締結した場合のみ時間外労働の影響を受けるが、常態化した時間外労働は強制することはできない。会社にとって36協定は、組合員に労組のバックアップで無条件に時間外労働させることができる好都合の法律になっている。そして労働基準監督署は、36協定締結書の内容を、現場に赴いて監督・監視したりすることはない。悪法そのものである。就業時間外のプライベートな時間は、終わることのない仕事のための予備の時間ではない。人が人として生きてゆくために、必要不可欠な時間であり、家庭を含めた人と人との繋がりを維持発展させるための必要不可欠な時間でもある。会社の利益・利潤を求める犠牲にしてはならない。そう言う意味で時間外労働は、本来あってはならないことである。
 ”私だけ先には帰れない”については、率先して先に帰る必要がある。残業することによりあなたは、会社での地位を固めることになるだろう。しかし、それも定年退職までのことである。残業することによりあなたの視野が狭まり、残業することによりあなたのアイデンティティは企業論理に染まってゆき、一般社会の常識から遠ざかる。非常に狭隘な組織の一員として、一生を終えるつもりならばそうすればよい。しかし、人は人と人との繋がりの中で生きている社会性動物であることを忘れてはならない。
 ”リストラの対象になる”については、ほどほどにとしか言いようがない。”そんな会社、辞める!”と言ってしまうと、日本の会社全てがこのような状態だから、サラリーマンを辞めるしかなくなってしまう。日本では、自我を通せば、必ず組織が勝って個人が負ける。まして、自我は法律云々言う前に、個人が悪いと云うことになってしまう。それならば賢く、会社と同じく、ほどほどにして帰ればよい。くれぐれも、自分自身のアイデンティティを傷つけることのないように。私の場合は、不器用だから自分が信じた自我(会社より遙かに常識的だと思っている)を通す方法しか持っていないが。
 ”ローン返済するため、生活のため”については、生活を見直せば時間外労働は必要最小限に抑えられるのではないのでは。日本のサラリーマンなら残業しなくても、最低限までいかない生活ができるのではないだろうか。
 そして、もう一つ上司から”残業を強要される”については、あなた自身の生き方が問われています。今、あなたにとって何を守らなくてはならないのか。それは、あなた自身のアイデンティティかも知れません。それは、あなたの家庭かも知れません。人それぞれですので、私にはこうしろとは言えないし、言うつもりもありません。あなた自身(家庭と共に)が決めることですから。時間外労働は、”私だけ先に帰れない”のところで述べた通り、人間の根幹に関わってくると言うことだけは念頭においていて欲しいと思います。
 私の場合、自分が自分で在り続けるために生きています。それが、私のアイデンティティです。もし時間外労働が、これを破壊するものであるならば、上司から残業を強要されても、真っ正面から戦うことでしょう。

Copyright (C) 2001 森みつぐ    /// 更新:2001年9月16日 ///