夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> |
4.1.1.8 長時間労働がもたらすもの |
2000年6月3日 森みつぐ 人生の目的が会社で働くことになったとき、あなたの人生は非常に乾き切ったものになるでしょう。
1日8時間の労働時間は、昼の休憩時間や通勤時間を加算すると短くても、10時間から11時間となる。睡眠時間を7時間とすると、残りは6時間。とすると、夕方の分は、5時間位となる。就労日で、自分の自由になるまとまった時間は、夕食と入浴時間を含めて5時間足らずである。この数字は、自宅が会社に近くて、定時帰社という想定で計算した結果である。ここで、入浴と夕食に1時間半、就寝前に30分を明日の準備等に割いたとすると、残りは3時間である。非常に条件のいい労働者でも、本当に自分の時間になる時間は、これ位なのである。3時間をこれ位と書いたが、感じ方は、人それぞれだと思われるが、この3時間を弄ぶようでは、自分本位の人生は、退職した後においても送ることはできないだろう。定年までの会社の人生は、長い人生の中でのほんの一部である。
1日の就業時間は、8時間だと謳っていても、残業は、当然の如くあって、定時で帰る人は、法を守らない悪人のように扱われ、辞職を迫られることになる。サービス残業は、国会で取り扱われたからといって、無くなる訳ではない。働き過ぎによる過労死、極度のストレスや体の不調を伴うことによる自殺は絶えることはない。今年の現職首相の死は、過労死そのものである。当然、首相は、時間制限なしの公職なので過労死とはならないが、死ぬまで働くという日本のサラリーマンの鑑みたいであった。
話が少し逸れたが、この3時間は、残業を2時間半すると休憩時間もあるので無くなってしまう。これ以上残業すると、生活の基礎となる、また精神のリフレッシュとなる睡眠、食事、入浴の時間を削ることになる。当然、この皺寄せは、土曜、日曜へと移行して、貴重な自由時間を台無しにしてしまうか、次の週へと持ち越してしまい、肉体的・精神的疲労は蓄積され、弱い部分を締め続けることになる。そして、その結果・・・。
ある人は、土、日休めれば月曜から金曜日までは、自由な時間を諦めると思っているかも知れない。しかし、人生は、一日一日の積み重ねであることを忘れてはいけない。家族サービスは、土日すればよいと言うことで、月曜から金曜までは、子どもとの会話をしないのは、家庭とは言えないだろう。子どもの成長は、一日一日緩やかに成長するものであって、大きなステップを越えながら成長しろと言うのは、困難である。また本人にとっても、一本調子の5日間は、肉体的にも精神的にも多大な疲労をもたらすものである。社会人の一人として、会社という狭い組織の中でべったりと生活していると、非常に視野の狭い、そして社会一般から隔離された企業論理でしか考えることができない人間になってしまう。社会人としての教養を身につけなければならないのは、民主主義を護るために必要不可欠なことである。
あなたが仕事に対して野心、野望があるとしたならば、あなたを支える周囲を含めて心身のリフレッシュが出来なくてはならないだろう。そして、一般社会から懸け離れた組織の中で、如何にもそこが社会の縮図であるが如くふるまうのがいいだろう。私には、興味がないことだが。上に立つ人たちに社会人としての一面が感じられないことは、非常に寂しいことである。
とは言え、帰りたくても帰れない雰囲気の職場や残業をしないと馘になるという会社の場合は、今日から10分でも早く帰って、少しずつ周囲を慣らしてゆく他ないでしょう。あなたが、そして家族の人が何とか満足できる時間まで短縮してはどうでしょうか。
帰っても何もやることがないから会社にいるという人は、早く帰ってこのホームページを見ながら、”私ならこう考える”を初めてみては如何でしょうか。趣味を見つけることは、大変でしょうが、いつかは有り余る時間に埋もれて息も絶え絶えになるかも知れません。アンテナを、別の方向にも向けて下さい。
残業をしなけでば生活できないと言う人は、本当にそうでしょうか。皆が持っているから、便利だからで買い揃えた物が家の中に溢れていませんか。残業を減らすことで手放さなければならない物も多くなるかも知れませんが、減らすことによって、新たに得るものをよく考えて下さい。今日、明日の短い期間ではなく、人生という長い期間を見据えて考えてみて下さい。
自分の人間性を高めるために、子どもを含めた家族の人間性を育むために、そして出来れば、その必要性を職場の人たちに気付いて貰うためにも、出来る範囲で残業を減らす努力をしてみて下さい。今までになかった新しい人生が、開けてくるはずです。
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Copyright (C) 2001-2002 森みつぐ /// 更新:2001年11月25日 /// |