夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> |
4.1.1.9 家庭の恢復 |
2001年12月29日 森みつぐ 私には、若い人たちだけとは限らないがモラルの感じられない行動が理解できない。若い内は、何かと反抗してみたくなるのは分かる。でも、最近のモラルの無さは、余りにもいびつである。常識が身に付いてなく、倫理観に欠けている。学校教育の問題以前のことだ。家庭内における躾が身に付いていないのである。いや、身に付いていないと言う以前に、躾そのものを家庭で行っていないのではないかと思われる。両親が躾をする能力を失っているのではないだろうか。
戦後の復興期に、アメリカから民主主義が入ってきた。国民は瓦礫の山から這いずり出るのが精一杯で、家庭内の躾は、戦前から続いている日本の慣習で行われてきた。アメリカの自由主義は、まだ日本の家庭の中には入り込んでいなかったのである。しかし、次の世代である団塊の世代に入ると、生活に余裕ができ、アメリカへの追従は、良くその内容を噛み砕かれることもなく自由主義や個人主義が家庭内に入り込んできた。そのとき既に誤りは、起きていたのである。一人ひとりが、自由主義や個人主義を十分に咀嚼できてなかったため、子どもに対する躾も従来の日本式でもなく。だからと言ってアメリカ式でもない、非常に曖昧で悪い意味での日米折衷式になってしまい、子どもにとっては、一番悪い結果を伴う甘やかしの躾となってしまったのである。それは、物質至上主義と相俟って日本中を席巻した。その結果が、今である。
だが私は、日本の将来を悲観してはいない。楽観主義だからと言う訳ではないが、今が底という気がする。外れたたがを、すぐ元通りにすることはできないし、昔の日本式に無理に戻すこともできない。躾そのものは、家庭や地域社会の問題である。しかし、自由主義や個人主義に関しての正確な知識は、学校教育の問題である。それぞれの立場で、力を発揮して貰わなくてはならない。
日本の家庭像を、再構築しなければならない時代が訪れている。今、家庭を作り始めた人たちが、再構築の先頭を切って走り出す。そして、次の世代への受け継がれて、家庭再生は、日本の新しい家庭像になるだろう。
昔はどうかは分からないが、これからは子育てに父親も母親も手を抜いてはならない。残される問題は、物質至上主義と経済至上主義の下で、欲望を掻き乱すマス・メディア(テレビ、雑誌、情報端末)の影響である。これらは、利用するときには、非常に効果的波及をもたらすが、逆に利用されてしまったときには、精神的にも、肉体的にも致命的な影響を与えられるのである。これを制御するのは、子どもの力ではどうしようもない。複数の大人の力が、最低限でも必要である。これからの家庭は、マス・メディアをどう制するかにかかっている。
全てのものには、プラスとマイナスが同居している。プラスの面を強調させたのが、自由民主主義であり資本経済主義である。従って、闇の部分として、大きなマイナス面も存在している。私の生き方は、大きなプラスは望んでいない。宝くじに当たることは望んで生きていない。今の生き方が、継続できれば、それでいいのである。資本経済を取り入れた民主社会主義というのか、そんな国家でいいのではないか。
子どもたちにとって、受難の時代は、まだ続く。しかし、家庭は、確実に恢復に向かうだろう。
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Copyright (C) 2002 森みつぐ /// 更新:2002年2月17日 /// |