夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 何故、傷つけ合うの<交通戦争>
夢惑う世界4.1.2.10-3 何故、傷つけ合うの<交通戦争>

2009年5月29日  森みつぐ

 先日、札幌で小学一年生の男の子が、車に撥ねられた。男の子は、道路の反対側にいた友達のところに行くために、信号が赤だったのに道路に飛び出したとのことだった。いつも私は思うのだが、"何故、男の子は道路に飛び出したと言うだけで、車に撥ねられなくてはならない"のだろうか。
 何の防備も持たない人間の、ほんの1mも離れていないところを、いとも簡単に人間そのものを殺傷することのできる車が走り回っている。人身事故が起きて当然の交通システム、道路状況が昔から延々と続いている。歩道を含めた道路は、強者である車が優先となっていて、本来、弱者として優先されるべき人間は、いつもびくびくしながら車に遠慮がちに行動する。"弱者に優しく"と言う福祉社会とは、全く正反対の社会が、車社会なのである。
 子どもは天真爛漫であり、次なる行動の予想が付かない。道路に飛び出してくることを予想しながら、車を運転する必要がある。現在の交通システムを続ける限り交通事故は、激減はしない。車そのものが問題であり、そして、その車を運転する人間も問題であるが故に、いくら厳罰化しても交通事故は減らない。猫も杓子も車を運転する限り、交通事故は減らない。私は、交通事故を起こして人を殺傷したとしても、そのことに対して責任を取ることはできないので、車は運転しないことにしている。


2009年8月30日  森みつぐ

 先日、国道沿いをジョギングしていて折り返し地点に近付いていたら、後方でクラクションの音に続いて、ドーンとぶつかった衝突音が聞こえてきた。車同士の交通事故のようであったが、そのままジョギングを続けて、折り返してから事故現場を見ると、意外にも正面衝突だった。軽乗用車が逆走したみたいに、真正面から衝突している。
 福岡で警官が飲酒運転をして、国道を逆走し対向車と衝突し、そして逃げたという事件もあった。厳罰化が進む飲酒運転事故ではあるが、相変わらず飲酒運転はニュースを賑わしている。それどころか取り締まるはずの警察の不祥事も起きている。そもそも酒は、神経を興奮させ、麻痺させる薬物である。私は、車は便利という長所を取り除くと銃と同じだと考えている。車は、凶器そのものになってしまい、“あっ!間違った!”では済まされないのである。
 数ヶ月前になるけど、ジョギングをしていたらスーパーの駐車場出口で、自転車の横で座り込んでいる女学生と警官がいた。歩道に歩行者がいようと自転車が来ていようとも、ちょうど車道の車の流れが止まっていたら、、一時停止もせずに、歩道に飛び出してくる車が多い。車が凶器だとは思ってもいないのである。便利さだけを追求していると、絶対、交通殺傷事件(交通事故)は、減っては来ない。


2009年11月12日  森みつぐ

 昨日、札幌で男子高校生の乗る自転車が、犬を散歩中の女性と衝突して、女性が意識不明の重体になっている。毎回、同じようなことばかり書いているが、ますます交通ルール違反や運転マナーの悪さが目立っているように思われるので、何回でも同じことを繰り返して書くことにしている。
 歩道を走る自転車のうち、8割9割が危険な運転をしているように思われる。特に、スピードの出し過ぎが多く、歩行者を追い抜くときも猛スピードですぐ脇を追い越してゆく。そんなにスピードを出したいならば、歩道でなくて車道を走ればいいと思うのだ。歩道を走るときは、車道側を走らなくてはならないルールになっていて自転車レーンマークが示してあるのにも拘らずそこを走らないで、歩行者をどかせながら車道から遠いところを我が物顔で走ってゆく。そして携帯電話を操作しながらや音楽を聴きながらなどのながら運転も相変わらずである。自動車は、もっと酷い。歩行者と交差する駐車場の出口では、自動車は一時停止することもなく、歩行者や自転車と先を競い合っている。こんなことでは、事故が減る訳がない。
 今回の事故の詳細は分からないが、犬の散歩も危険なのが多い。歩道を自転車に乗りながら犬と走っていたり、長い鎖で歩道いっぱいに犬に連れられて(?)歩いている人もいる。自転車に乗っていると邪魔で仕方ない。歩行者も自転車も自動車も相手の立場に立って行動しなくてはならない。特に、強者の責任は重いものであることを肝に銘じなくてはならないだろう。


2010年2月11日  森みつぐ

 先週、茨城県小美玉市で登校中の小学生の列に、乗用車が突っ込んだ。ただ、幸運にも今回は、怪我をした5人の小学生は、軽傷だったとのことである。ドライバーのちょっとしたハンドル操作ミスによる事故であった。
 自動車は、事故が起こるのが当たり前の動く機械なのである。操作ミスをしたら当然だが、操作ミスをしなくても事故が起こるのである。事故の対象が人ならば、最悪、その人の命を奪ってしまう。それ故、ドライバーは皆、保険を掛けている。相手の人が、最悪時、死亡することを想定して保険に入っているのである。何故、こんな保険システムが成り立つのか、私には不可解である。人と人とが傷付け合う、殺し合うと言うことが前提の自動車だからであろう。それを皆、承知の上でマイカーを運転する。私には、異様に見えてくる。
 運転に集中してても事故は起こるし、まして運転中ずっと集中することは、人間ゆえ100%無理である。今回の事故も、何の特別なことではなく誰にでも起こり得ることである。自動車の危険性をよく理解した上で、慎重な行動をとって欲しいものである。それでも、事故は起こるのが自動車なのだから。


2010年5月13日  森みつぐ

 夕方、私はジョギングをしているのだが、自動車の次に危険なのは、自転車である。私の走っている歩道は、自転車が走ってもいいことになっていて、特に国道の歩道には、自転車走行スペースは白線で仕切られていて、路面には自転車のマークも付いている。そんな歩道を走っていると、意識的に白線内を走らないようにしている自転車が多いのに気付く。
 昨年の12月頃から雪の冬を挟んで先日まで、ジョギングのときに擦れ違った自転車の動態をチェックしてみた。擦れ違った総台数182台:車道側(白線内)を走ってなかった台数97台(53%):車道から遠い所を走っている私より更に遠い脇を無理して通った台数20台(11%)、意地でも歩行者より車道側を走らないと言う自転車がなんと多いことか。私は、白線の外を走っている自転車が来たら、車道側を走らすように反対側を狭めてジョギングをするのだが、それでも自転車が私よりも外側を走ろうとして、ぶつかりそうになったこともたびたびあった。
 春になると警官も歩道に出て、自転車に乗っている人に注意を喚起しているのだが、余りその効果が現われていない。歩く人と同じ弱者の感覚で自転車の乗っている人が非常に多いのである。自転車も自動車も、ルールを知らない、ルールを無視する状態が続く限り交通事故は、相変わらず日常茶飯事の人権侵害なのである。


2012年1月12日  森みつぐ

 「昨年の全国の交通事故死者数は前年より254人少ない4611人(前年比5.2%減)で、2001年から11年連続で減少したことが4日、警察庁のまとめでわかった。65歳以上の高齢者が2262人で全体に占める割合が49%と依然として高く推移している。」(読売新聞より)
 昨年の交通事故死者数が発表された。11年連続の減少は、なかなか良い結果であろう。多いときには100万件あった事故件数も、昨年は70万件を下回った。更に交通事故を減らし、事故死を減らしてゆく努力を続ける必要がある。ただ、死者数が減ったとはいえ、4600人余りの人が死に、85万人を超える負傷者や交通遺児などの家族たちを生み出していることを、ドライバ一人ひとりが肝に銘じなくてはならない。
 東日本大震災では、2万人近い死亡者を出したが、その4分の1近い人たちが毎年、交通事故で亡くなっているという事実にしっかりと向き合わなくてはならない。交通事故は自然災害ではなく、人が人の命を奪うという明白な人災なのである。便利さを追求するという私欲のために、何故、こんなに多くに人々が死んでゆかなくてはならないのだろうか。


2012年4月26日  森みつぐ

 京都で連続して起きた自動車事故は、これ以上の痛ましさがないほどの事故だった。これから事故原因や対策が講じられるであろうが、私は今回の事故も自動車であるが故の事故だと思っている。自動車は強力な凶器であり、運転する者は不完全な人間であるが故に自動車を完全に制御することは無理である。
 走行する自動車は、必ず事故を起こすのである。自動車の速度が上がれば上がるだけ、事故を起こす確率が高くなってゆく。運転する側に原因は無くても、さまざまな外部要因によっても事故は起こり得る。交通事故は、起きるのが当たり前なのである。そして事故の対象が人ならば、痛ましい人身事故となる。
 自動車が凶器であるという認識が足りないのではないだろうか。自動車の便利さを追及するあまり、命の重さを軽んじているのではないだろうか。自動車は凶器であり、殺人凶器である。運転者は、これを肝に銘じて十分慎重に運転しなくてはならない。そして狭い生活道路での事故を減らすためには、速度を上げて走行すると強い衝撃を受ける凸部を道路の随所随所に設置することである。


2012年5月30日  森みつぐ

 先週の新聞記事のタイトル「新東名悩ます動物進入」に私は、違和感を覚えた。新東名高速道路の開通から1ヶ月間で、回収した動物の死体は、タヌキ38匹、ウサギなどの小動物25匹、犬・猫14匹など91体だった。動物たちがより多く生息する山間部に道路を造っておいて、「新東名悩ます動物進入」とは、何をか言わんやである。動物たちからしたら、迷惑千万そのものである。
 同じ紙面に、「国道にシカ衝突多発」という記事も載っていた。「エゾシカの増加によって、北海道東部の釧路、根室地方では昨年、車とシカの衝突事故が791件発生し、この地域で起きた人身事故594件を上回った」と。車と人、車と動物が同じ次元の中で移動する限り、当然の結果なのである。
 人間が欲望を追求する限り、車による人や動物への被害は、そう減ることはないだろうと思っている。それが人間の性なのである。1年間に日本で犠牲なる動物は、数千頭なのだろうが、全く轢き殺したことさえも意識してないと思われる犠牲昆虫の数は、数十万匹から数百万匹になるのではないだろうか。


2012年8月2日  森みつぐ

 6日間続いた真夏日も過ぎ、ほど良い気温の中をジョギングしていた。豊平川沿いの国道の歩道を走っていると、前方に大きなヤンマを見つけた。ここでは、今までに2回もコオニヤンマを見つけたことがあった。“コオニヤンマかな?”と思い拾ってみると、緑色に輝く複眼が眩しい雌のオニヤンマだった。
 ところが、よく見ると右の複眼が壊死して黒くなっていた。車と正面衝突したのだろう。車の方は、何事もなかったように走り去ってゆく。オニヤンマは、生身の人間と衝突はしない。飛翔の上手いトンボ、チョウ、ハチ、ハエなどは、そう簡単にぶつかったりはしないものである。車のスピードは、そもそも生き物たちの制御可能なスピードを超えてしまっているのである。そして、人間自身もそのスピードを制御できない。それ故、当然の如く、事故は起きる。車は、走る凶器なのである。
 先日、停車していたトラックの間から道路に出た子ども二人が、車に撥ねられるという事故が起きた。子どもたちに責任はない。凶器を走らせている方に問題があるのである。そして、その凶器は、最悪死という結果をもたらすことになる。楽だから、便利だからという理由だけで、日本だけでも毎年5千人という人命が奪われていいのだろうか。


2013年1月10日  森みつぐ

 「昨年の全国の交通事故死者数は、前年より4.4%減の4411人で、1951年以来、61年ぶりに4500人を下回ったことが4日、警察庁のまとめでわかった。12年連続の減少。・・・(省略)・・・昨年の事故件数は66万4907件で前年に比べて2万7030件減った。」(読売新聞より)
 交通事故による死亡者が毎年減少していることは、大いに賞賛すべきことではあるが、私は、この数値でマイカー運転が正当化されるとは、まだまだ思っていない。毎年4400人もの命が利己的便利さ追求のために、絶たれてゆくという現実を、各人がどう受止めるかにかかっている。
 「金融庁の自動車損害賠償責任(自賠責)保険審議会は9日、自動車の保有者に加入を義務づけている自賠責保険の保険料について、4月から2年ぶりの値上げを認める方針で一致した。・・・(省略)・・・死亡事故は減っているが、事故で障害が残った人への支払いが高水準で推移しているためだ。」(読売新聞より)。事故で殺してしまう、障害者にしてしまうことを前提とした個人保険が成り立つ交通システムとは、いったい何なのだろうかと考えてしまうのである。


2013年5月2日  森みつぐ

 住宅街の道を抜け自転車に乗って、バス通りのT字路までやってきた。自動車が次から次へと通り過ぎ、なかなかバス通りには出れない。バス通りといっても歩道は狭く専用の自転車道もないので、自動車が通り過ぎるまで待っていた。先ほどから後ろに車が来ているのには気付いていた。
 案の定、暫くすると後ろからクラクションの音がしてきた。自転車を車と見做さないで、“邪魔だから避けろ!”とばかりクラクションを鳴らす。自動車が来るからバス通りに出ることが出来ないのである。聞こえないふりをして、クラクションの音は無視をする。やっと自動車が通り過ぎたので、バス通りへと走り出した。その間、せいぜい2分程度である。
 自転車に関係する事故が増えている。歩道を我が物顔で突っ走る自転車の、なんと多いことか。私が歩道を走るときはゆっくりなので、他の自転車を追い越すことはめったにない。自転車側にも問題はある。そして自動車も、自転車を邪魔者扱いにするだけなので、事故は自ずと起こるのである。自転車も、自動車もそんなに急がなければならないことって、どれだけあるのだろうか。


2015年1月11日  森みつぐ

 「昨年の全国の交通事故の死者は4113人で、前年よりも260人(5.9%)少なかったことが5日、警視庁のまとめで分かった。死者数は、2001年から14年連続で前年より減少した。死者で目立ったのは65歳以上の高齢者で、昨年は2193人が死亡。死者の総数に占める割合は53.3%で、統計がある1967年以降で最も高かった。(読売新聞より)」
 交通事故死が、年々減少していることは望ましいことであるが、全く納得できるような数値でないことも確かである。交通事故の死者数が14年連続で減少と言うが、この14年の間の総死者数は約82、000人である。この数値をどう受け止めるかは、各人の信条・信念に依って異なるだろうが、私には人が人を傷付け、命を奪うという交通事故を正当化することは出来ない。
 先日、テレビで交通事故死のうち、車と歩行者との間の事故死は、総数の3分の1だと言っていた。少なくとも、この部分は皆無にしなくてはならないだろう。4113人の死者数の陰には、数多くの重軽傷者と今後も障碍者として生きていかなければならない人たちがいっぱいいることを想像して欲しいものである。


2016年1月6日  森みつぐ

 「昨年の交通事故による死者が全国で4117人となり、前年を4人上回ったことが4日、警察庁のまとめでわかった。死者数が増加したのは2000年以来、15年ぶり。65歳以上の高齢者が占める割合は統計がある1967年以降では最高。・・・(省略)・・・年間の死者数は、9073人だった2000年以降、一貫して減少。09年に5000人を下回り、14年は4113まで減っていた。政府は年間目標を「3000人以下」としていたが、昨年は一転して増加した。中でも高齢者の死者は前年より54人増えて2247人となり、死者総数の54.6%を占めた。警察庁は、高齢者の人口が増えたことが死者数増加の一因とみている。(読売新聞より)」
 2000年頃、年間9000人もの命が交通事故で奪われていたのが、4100人程度まで減少したことは良いことであるが、便利だから楽だからと利己追及のために、人が人を殺傷することを広く黙認している限り、飲酒運転などの危険運転の厳罰化がなされたとしても、交通事故による死者は毎年数千人に上るだろう。
 65歳以上の高齢者の占める割合は、年々増加し昨年は55%に達した。同じ2次元の平面上を、凶器となる自動車と生身の人間が動き回っていたら、当然、衝突は避けられないことだろう。その結果は、分かり切っている。まして肉体的に衰えてくる高齢者にとっては、自動車はますます恐ろしい凶器となるだろう。マイカーを容認することは、毎年数千人、人が人を殺すことを黙認していることである。

Copyright (C) 2009-2016 森みつぐ    /// 更新:2016年1月10日 ///