夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 想い出の昆虫記 |
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2001年8月14日 森みつぐ
昆虫採集を始めた中学2年の夏休み最後の日、やっぱり日の丸公園来ていた。しかしこの日は、網を持たずに遊びに来ていたのである。この雑木林には、数年前まで民家が2件建っていた。しかし今は、引っ越して家は土台を残して跡形もない。でも、その名残で庭に咲いていた花々は、その後も咲き誇っていた。
その花に、なんとカラスアゲハが来ていたのである。カラスアゲハは、山地性のアゲハなので札幌の平地で見かけるなんて事は、そうざらにはない。そして私にはこの時、日の丸公園が唯一の採集場所であった。しかし、網がない。一目散で2km先の家まで、捕虫網を採りに小走りで帰った。当時から長距離を走るのは得意でなかったのだが、走った。そして、戻ってカラスアゲハを見事に仕留めることができたのである。今でも、このカラスアゲハは、健在である。33年前のことである。
因みに私は、標本を国毎に採った日付順に通し番号を付けている。中学3年の時だけ入部していた生物クラブで秋の文化祭に標本を出展したとき、中学2,3年の2年間の昆虫に付けたのが最初である。その時だけは、日付順ではなかったが、アゲハチョウ科カラスアゲハが1番となった。その時の出展では、1化性のシンジュサンの2化目の終令幼虫も出展したものである。
2001年8月14日 森みつぐ
昆虫採集をしてまもなくの頃、日の丸公園の雑木林で採集していた。そのころ甲虫の大きいのと云えば、クワガタ(日の丸公園には、スジクワガタ、コクワガタ、アカアシクワガタ、そして数の少ないミヤマクワガタがいた)とエゾマイマイカブリくらいであった。その日は、朽ちた倒木を穿り返していた。そうすると、気持ち悪くなるくらい中からうじゃうじゃと黒い大きな甲虫が出てきたのである。初めてのクワガタだと思って、10匹くらい家に持ち帰ったような気がする。
当時、私は、捕まえた甲虫は、すぐに標本にしないで容器の中で飼っていた。当然、死ぬときには脚が無くなっていたりして標本に向かなくなっている。結局、その甲虫(クワガタでないことは、まもなく分かったが和名を知ったのは、もっと先のことである)も標本箱に収まったのは1匹だけであった。そして、その後は、このオオゴミムシダマシには、巡り会っていない。
こんなのがうじゃうじゃ出てきました。
(1968年5月21日 札幌日の丸公園にて) 2001年8月19日 森みつぐ
中学生のときは、シンジュサンの他にスズメガも好きだった。芋虫を見るとすぐに角がないかどうかを確かめるのが常だった。中学2年の時、桑の紫色に熟した美味しい実を採っていると、葉っぱに角のある幼虫を見つけた。この頃、スズメガの幼虫を良く知らなかった私は、この幼虫を採ってきて育てていた。ところが、この幼虫は、最後には糸を紡いで繭を作り蛹になってしまったのである。なんでスズメガが繭を紡ぐのか、謎である。そして、その繭からは小さなガが出てきた。図鑑を調べるとクワゴである。“カイコの野生種”とのこと。クワゴの角は、柔らかい毛の束のようであるが、スズメガの角は角質化していて硬い。
その後、カイコの幼虫も育てる機会を得た。でも、桑の木を見るとどうしてもクワゴの食痕を探してしまう。
クワゴの幼虫(55mm)と蛹(21mm)(私の当時の採集ノートから)
2001年8月19日 森みつぐ
クワゴが取り付いていた桑の木があったすぐ傍に、穴のぽつぽつ開いた枯れた大木が立っていた。
ある日、その大木に長い触角の大きなカミキリムシが、いっぱい這い回っていた。私が見た、初めての大きなカミキリムシである。恐々と素手で掴まえてみると、キイキイと鳴く。この頃、甲虫の処理の仕方を良く知らなかった私は、菓子箱の中に生きたままいっぱい詰め込んだ。
ところが薄暗い箱の中では、大きなカミキリムシが髪切り合っていたのである。後で、箱を開けたときには、触角や脚が散乱しているという悲惨な光景であった。その中で、一番大きな1匹だけが無事であった。その枯れた大木は、残念ながらその年限りで朽ち果ててしまった。
ウスバカミキリは、その後一度も見かけていない。
大きなウスバカミキリの雌(体長 49mm)(1969年8月4日 札幌市栄町にて)
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