夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 想い出の昆虫記 |
4.1.2.11−5 想い出の昆虫記 | |||||||||||||||||||||||||||||
2002年1月4日 森みつぐ
私は小学2年まで、北海道大学の近くに住んでいたので、よくポプラ並木にセミを採りに行ったのを覚えている。子どもの頃の好きな昆虫は、大きい、綺麗、啼くという昆虫たちであろう。そう言う意味でセミは、大好きな昆虫であった。
ある夏の日の早朝、家の近くの木でセミが羽化していた。セミの殻から抜け出た成虫は、緑色の蛍光色で光っている。その美しさは、今も心の奥底に焼き付いている。セミは、今でも大好きな昆虫であることには変わりない。
その頃、セミの種類まで分かりようがないが、多分、エゾゼミだったのだろう。
2002年5月4日 森みつぐ
秋も深まり、日の丸公園の木々も色づき始める。9月中旬を迎えると、夏の間あれだけギース・チョンと鳴いていたキリギリスも姿を消す。そして10月の落ち葉の季節も終わりに近付く中で、慌ただしく精を出す虫たちもいる。
枯れ草色の野原には、赤とんぼがいっぱい藁の先に止まっている。そして日の丸公園周辺の野原には、黄色い小花をいっぱい付けた背の高いセイタカアワダチソウがハチたちを誘い始める。チョウは、もうアカタテハやヒメアカタテハが時々訪れる程度で、昆虫採集も終わりに近付いている。しかし、このセイタカアワダチソウには、格好いいハチたちが、まだまだ蜜をご馳走になるために訪れていた。
2002年5月4日 森みつぐ
私が中学生のとき、シンジュサンの繭を籠の中にぶら下げて羽化を待っていたら、春の訪れと共に籠の下に蛆が湧いてきた。私は、どうも蛆は苦手である。這い回っていた蛆は、そのうち俵状になって褐色を帯びてくる。“何故、こんな所にいるの?”と思っていたら、どうもシンジュサンの蛹に寄生していたハエみたいである。蛹1匹に対して、蛆も1匹である。なんと贅沢な奴らなのだろうか。
羽化した寄生蠅を標本にしたはずなのだが、何処に消えたか手元に残ってない。
アゲハチョウの仲間の蛹には、しばしばアゲハヒメバチが寄生している。アゲハがいつ羽化するだろうと楽しみに待っていると部屋の中をハチが飛んでいたりする。アゲハの蛹を見てみると胴体に風穴が開いている。この悔しさは、アゲハヒメバチを標本にして、うっぷんを晴らすことにしている。
2003年12月31日 森みつぐ
子どもの頃、家の周りには舗装道路はなかった。車の走る道は、砂利道になっていて硬くしまっている。そして、その道をちょっとでも外れると、土の薫りがする道となる。
側溝もまだ、土を掘り起こしただけのもので、流れる水も綺麗なものであった。ドジョウやフナもいた。そして土は、今よりも遙かに豊かであった。夕方にもなると、ジージーとミミズが鳴く声が聞こえてきていたが、当然それはケラが鳴いていることを知っていた。
ケラを掴まえて手の平に載せると、前脚でしっかり閉じた指の間を押し分けるかのようにして踏ん張り続けるのである。そして、ちょっとくすぐったくなって仕舞いには指を広げてしまう。
最近は、ケラが鳴いているのを聴かなくなってきた。あの柔らかく温かい土は、都会で見つけることは出来ない。
2003年12月31日 森みつぐ
私は、カンタンが好きである。夏と言えばキリギリスに始まり、秋はエンマコオロギとなるのだが、それに加えて秋のカンタンが大好きだった。“リューリューリュー・・・”と単調だが、黄昏色の秋には、物悲しいカンタンの音は、ぴったりだったのである。
ただ、子どもにはカンタンを育てるのは、キリギリスみたいにはいかなかった。子どもが育てるには、ちょっとデリケートすぎるのである。チャレンジはするものの、いつも長生きさせてあげることが出来なかった。
今でも秋になるとカンタンの聲には、耳をそばだてて聞き惚れてしまうのである。いつの日か、またゆっくりとカンタンでも育ててみたいものである。カンタンの調べは、心が落ち着く。
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