夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 想い出の昆虫記 |
4.1.2.11−6 想い出の昆虫記 | |||
2003年12月31日 森みつぐ
ホタルと言うと話題に上るのが、明るく大きいゲンジボタルであるが、私が子どもの時の札幌には小形のホタルであるヘイケボタルが家の近くに棲んでいた。
野原には、小さな細流が流れている。セリも育つ綺麗な水が流れている。そこでヘイケボタルは育つのである。札幌の中心地に建つテレビ塔から、5〜6kmしか離れていないところにである。ホタルの光は、いつまで見ていても飽きが来ない幻光そのものである。
子どもの時のことである。既に野原はなくなり水の流れは下水へと変わり、緑の公園は箱物へと代わってしまった。アスファルトの道には、街路樹のために僅かに土が固められて残されているだけである。水生昆虫たちは、生きる術が全く絶たれてしまった。
光る昆虫は、いつ見ても感動を与えてくれるのだが残念である。
2004年12月30日 森みつぐ
日の丸公園には、立派な大木が何本も空高く聳えていた。周囲に広がる田畑や牧草地と一線を画する見事な林の生態系を作り出していたように思われる。そんな日の丸公園が私は、好きだった。
枯れた大木の根本は朽ち果て、洞が出来上がっていた。その日もいつもの通りクワガタがいないかと、洞の中の腐葉土を掻き回していた。そうしていたら出てきたのは、ずんぐりと太りきった幼虫であった。何の幼虫か分からないが腐葉土と一緒に持ち帰って育てることにした。
家に帰って早速テーブルの上に置いてみると、なんと短い脚を上にして背中で動き始めるではないか。その光景がとても不思議で、じっと見ていたことを覚えている。そしてそのうち、土を楕円形に固めて、中に閉じ籠もってしまった。夏、成虫となりごそごそと這い出そうとしていたが、がちがちに乾燥していたため、ちゃんと出てくることができなかった。外皮が少ししわくちゃになっていたムラサキツヤハナムグリであった。ハナムグリの幼虫を初めて知ったのである。
2004年12月31日 森みつぐ
私の昆虫採集のきっかけとなったシンジュサンは、大好きな昆虫の一つである。初めて掴まえた後、やはりシンジュサンについて知りたくて図鑑などを調べた。そして次の年には、日の丸公園で越冬中の繭を見つけた。それ以外の場所でも案外シンジュサンの幼虫を見つけることはたやすかった。神社の神樹の木、近くの学校に植えられていたプラタナスの木、民家の垣根に植えられていた木、その他にもあった。冬になるとあちこちから繭を持ってくる。家の中、そして物置の中は、シンジュサンの繭でいっぱいである。ただ物置の繭は、ネズミにとってたいそうなごちそうになったみたいである。
5月シンジュサンが一斉に羽化する。外はまだ新緑の季節にはほど遠い。部屋のあちこちに卵が産み付けられた。一匹の雌は、約200〜300個の卵を産む。そして一週間後、黒い幼虫が孵化してくる。やっとこの頃、外は新緑の季節を迎えている。数千の幼虫を育てられるはずがないので、日の丸公園まで行って、手の届く葉っぱの上にばらまいてくる。ばらまかれた木は、たまったものではない。その後一月もすると木は、丸裸にされてしまう。とげとげのある大きな幼虫は木を降りて、ちりちりばらばらに移動する。そして夏を迎えた頃、その木は2度目の新緑を身に纏うことになった。
家で飼っていた幼虫たちも既に繭を紡いでいた。そして夏、また羽化して卵を産んでしまった。そして一週間後、幼虫が孵った。北海道では、年一化のはずのシンジュサンが二化目に入った。遅れて孵化した幼虫は、繭を紡ぐことができるかどうか怪しくなってきた。もう外は、落葉の秋である。10月に入ってやっと終令になった。そのころ、生物クラブに属していた私は、その幼虫を秋の文化祭に生きたまま出展した。10月にシンジュサンの幼虫が、誰もその意味を分かっていない。
始まりは、シンジュサンである。今の私は、シンジュサンで決まった。願わくば、もう一度、あの美しい幼虫を育ててみたいものである。
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