夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 虹の向こう
夢惑う世界4.1.2.2−1 虹の向こう

1991年4月20日  森みつぐ

 8時10分、田貫湖入口より歩き出す。田貫湖には、25分、湖畔には、ぽつんと一本フジザクラが咲いていた。なんと上品なんだろうか!長者岳(1336m)まで、一気に登る。雲が高く陽を遮る中、きつい坂を登ってゆく。背後には、中腹を白い雲のネックレスで飾った富士山が聳えている。小鳥の囀りとともに、ウグイスの啼き声も聞こえてくる。鳥の名前も憶えたいが、じっとしていてくれないのでなかなか憶えられない。9時40分、山頂へ。
 天子湖へと下ってゆく。この辺りの木々は、まだ新緑が芽生えたばかり。途中、ぽつりぽつりとミツバツツジの紫紅色の花が、殺風景な景色に風情を添えている。なんと、美しいのだろうか!突然、がさがさという音がする。ふと、振り返ってみると、長い尾を引きながらヤマドリが滑空してゆく。しばらくして、尾の短い雌が、あとを追う。
 天子湖の外れ、上佐野に着いたのは、12時前である。この頃には、すっかり空も晴れ間が広がり、汗ばむ陽気となっていた。ここ谷間では、やはり気温が高いと見えて、萌え出たばかりの新緑が眩しく輝いている。濃い黄色をしたヤマブキの花が、爽やかな春風に心地好さそうに揺れている。スジグロシロチョウもまた、春風に乗って颯爽と翔んでゆく。すっかり舗装されてしまった道端には、時々、春の蝶スギタニルリシジミが舞っている。
 天子湖沿いに歩を進めて柿元のダムゲートには、13時40分頃辿り着く。向こう岸のヤマザクラの大木は、真っ白な花でめかし込んで、今や満開。周りには、その美しさを妨げるものは、何ひとつなく、ひっそりと咲いている。心が、すっかり和む。路傍に、ひっそり咲く花と植物図鑑とを睨めっこしながら、また歩き始める。しゃがみ込んで、じっくりと花を見ていると、車が1台、また1台と追い越してゆく。しかし、時は相変わらず麗らかな春の一日を、ゆっくりと刻んでいる。仄かな土の薫りが、立ち籠める静けさの中、図鑑を片手に歩く。
 身延線の井出駅に着いたのは、16時40分。


1991年6月15日  森みつぐ

 21時45分上野発青森往き急行八甲田は、人間の何もかもごちゃ混ぜにしたような体臭を漂わす夜の大都会を逃げ出すかのように、静かに滑り出す。車窓を照らす妖しい光のシャワーは、スピードを増し遠ざかってゆく電車を捉えきれず、地団駄を踏む。更にスピードを増す電車は、闇の中静寂へと吸い込まれてゆく。多くの別れと出逢い、愛と哀しみ、そして希望に満ち溢れた更なる夢を追う人たちを乗せて、何処までも続く赤い糸を手繰るようにして進んでゆく。既に23時を過ぎ、遠くで微かに灯りが流れてゆく。
 なかなか眠れず、うとうとしている。車内では、相変わらずおじさんたちのグループが話し込んでいる。“夜更かしは、体に良くないよ!”なんて、ときどき思いながらも、うとうと。2時間も眠ったであろうか。白け始めた車窓から、また田園風景が流れ始める。山端に微かに雲を残す他は、淡く青空が広がっている。
 5時45分盛岡着。改札を出て、ロッカーに一晩分の荷物を預け、洗面所で顔を洗い、また6時発の宮古行きの電車に乗るために改札を潜り抜ける。この電車に乗り遅れると、次の電車は、9時過ぎ、ちょっと早いけど乗る。盛岡を発ち、15分もすれば、もう緑の中。目的地は、川井村松草。高山植物が美しく咲き誇る早池峰山の麓に位置する。電車は、7時過ぎに到着。天気がいいと言っても、まだ肌寒い。目的の林道に入る前に、駅周辺の他の道に入り込み1時間半、お散歩。エゾハルゼミが、美声を聞かせてくれる。
 林道に入る。木陰は、まだまだ肌寒い。ときどき車が追い越してゆく。渓流釣り、山菜採り、そして営林署の車。肝心の虫さんは、今いち。雲がだんだん広がってきて、太陽はかくれんぼ。12時半を回り、真っ黒な雲に覆われ始めてきた。“さて、そろそろUターンの時間だ!”時々ぱらつく雨も僅か。これという成果もなく、先程の道をゆっくりと戻る。
 3時頃、雲が切れ始め、再び陽が差し始める。陽が照ると、一気に暖かさを増してくる。そして、虫さんも。林が切れ、原っぱに差しかかる。目の前を一匹の小さなチョウが翔び廻っている。最初、相手にしなかったのだが、相変わらず目の前を翔んでいるので網にしてみた。“あ!!!久し振り!”5年前道東の標茶で一匹だけ採ったことのあるチャマダラセセリであった。そんな訳で見惚れていると、今度は前方からトンボが飛んできた。“まあ、いいや!”と軽い気持ちでセセリを片付ける。“いや、待てよ!”とトンボの後を追う。ゆっくりと飛んでいる。“エゾトンボかな?”と思いながら追うと、下草に止まりぶら下がってしまった。再び、“あ!!!久し振り!”今度は、14年前室蘭で一匹だけ採ったことのあるムカシトンボであった。”ラッキー!!”
 影がだんだん伸びてゆく。ルンルン気分で駅へと向かう。5時9分発盛岡行きの一両電車に乗り込む為に。


1991年7月7日  森みつぐ

 25回目の石垣。11年前、初めて歩いた径。今は、すっかり様変わり。径の両側は、鬱蒼とした木々で覆われ、“さて、次は何が飛び出してくるのかな!”と胸をときめかせて歩いたものだ。しかし今は、舗装された2車線の車道とその両脇には削り取られた崖が、痛々しそうに強烈な日射しに晒されて、すっかり乾き切っている。ここは、市民のための公園である。駐車場、散策路や展望台が森林を切り拓いて造られてゆく。緑の木々は、亜熱帯のこの強い日射しを和らげ、多くの動物たちを育んでいるはずなのに。ところどころに立てられている「水源涵養林・保安林」の看板が虚しく見えてくる。
 朝7時半、於茂登部落を出発し、既に7時間。今日も晴。日中のこの暑い最中、歩き廻っている人なんて誰もいない。途中、チョウを採集している人に出会ったが、彼らは山中の目的地まで車で入りそこで採集して、また車で移動する。どうしても私には、好きになれない。緑の地は、他の生き物同様、己の足で歩くもの。彼らの住処を容赦なく踏みにじることは、私にはできない。あと4時間半、径は延々と続く。

 もう、何度目になるだろうか?この径は
 歩く度毎に景色は、徐々に変わってゆく
 西からの季節風に扇がれながら
 一歩、また一歩、歩を進める
 一滴、また一滴、汗が滴り落ちる
 相変わらず、陽は降り注ぐ


Copyright (C) 2001-2003 森みつぐ    /// 更新:2003年3月16日 ///