夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 企業論理と心の豊かさ
夢惑う世界4.1.2.3−1 企業論理と心の豊かさ

1995年4月6日  森みつぐ

 企業論理の中でしか行動できなくなった労働者、いつしかそれさえも意識しなくなったり、当たり前と思うようになる。
 企業は、会社の都合ばかり気にする会社人間の労働意欲を高めるために労働者が働く企業への一体感と帰属意識を持たす必要がある。そのために昇進の機会を増やし、福利厚生施設の充実を計り、そして宴会、旅行を催し、かつ私的な冠婚葬祭までにも影響を及ぼす。労働者の意識を企業内に閉じ込め社会への関心を失わせ利益・効率至上主義を刷り込んだ。その結果、労働者は、人が人として振る舞うのではなく利潤動機だけに支配されて行動するようになってしまった。
 人が人として振る舞う場であるはずの宴会・旅行・冠婚葬祭が企業論理の壁を超えられないでいる。会社の外にまで肩書きを付けたまま、職場組織を持ち出し企業論理の枠内で行動させる。このような企業論理内の枠内では、労働者は、人権を抑圧され諦める術を身につけてしまう。その結果、労働者は、人権を主張するよりも会社人間になることの中に自分の生き甲斐を見出すようになる。あるいは、自分で人生の楽しみを見つけることができないので与えられた仕事をこなすことを生き甲斐だと信じようとする。忙しい仕事の中に我を忘れれば、他のことを考えなくて済むし、家族のためという言い訳もできる。また企業内の協調性とか集団生活とか言って横並び意識を強め、いつも周りを気にして自己規制をしているので、個性の乏しい人間となってゆく。
 労働者は、企業論理を乗り越えない限り、絶対心の豊かさを得ることはできないだろう。


1995年9月12日  森みつぐ

 利益・効率至上主義の企業論理から脱却して質を重んじ新しい企業論理を確立する必要がある。即ち、量的成長から質的成長へ転換しなければならない。
 もはや、自浄作用の期待できない企業に、それを求めても応えられないだろう。従って労組が率先して行動し、かつ企業に対して政策提案をし、変化を促す必要がある。
 そのためには、労組も賃金・ボーナスの高額獲得という偏重体質を改善し、心の豊かさを重視した活動をすべきである。
 そして労働者も、もたれあい、集団主義、横並びという画一指向からの脱却により、多様な価値観の創造と、そしてそれにより人権尊重の心を得るだろう。それが、心の豊かさである。


2001年9月20日  森みつぐ

 日本人労働者の高賃金体質により国際競争力低下して、日本は産業空洞化に陥るだろうと言うことは、以前から言われ続けてきたことである。そして、今、現実にそうなってきた上、更に加速し始めている。
 東南アジア、特に中国の低賃金で、かつ質のいい労働力は、経営者から見れば魅力的である。
 しかし、日本の労働組合は、そのことを知りながら賃上げに奔走していた。労働者もバブル同様、右肩上がりの給料が当然だと思いこみ、将来の増収を見込んだ生活を送ってきた。
 時短よりも賃上げを望む国民性故に、年間総労働時間の短縮は実現しなかったし、労働組合もそれに迎合して真剣に時短に取り組まなかった。それ故、経営者は、日本の労働力を見限るほかないのである。国際競争力が求められる市場においては、高賃金は如何ともし難い問題である。労働組合は、その問題を先送りにしてきた。それがグローバル化の中で、非常に大きな問題になっているのである。
 雇用を守るという意味で、賃下げは不可欠になってきていると思われる。確かに、賃下げは痛い。生活水準を下げると言うことは、非常に屈辱的なことかも知れない。しかし、これを選択しなければ職そのものを失うことになるかも知れないのである。しかし、今、全労働者の賃下げ以外にも方法が出てきた。ヨーロッパで取り入れられているワークシェアリングの考えである。
 ワークシェアリングは、自分の生活スタイルに合わせて時間を選べるのが優れた点である。即ち、賃金の減少を望まない労働者はフルタイムを選択すればよい。1日8時間以上働きたくない労働者は、短時間労働を選択して、効率よい労働をすればよい。めりはりのない長時間労働よりも、確実に働き甲斐が感じられる満足感が得られるかも知れない。ワークシェアリングによって、当然残業も減るだろう。そう言う意味で賃金も減るが、その一方で、今、日本で社会問題の原因となっている失われつつあるものが回復に向かうかも知れない。私は、ワークシェアリングのもたらす効用として、それを一番願っている。
 遅れている感は拭えないが経営側も労働組合も、少しでも早くワークシェアリングの導入を実行して欲しい。今のままで推移すると、日本の産業空洞化の悪化は目に見えている。このままだと、失業者は増え、社会は更に疲弊し、少年問題は悪化の一途を辿ることになるだろう。


2005年2月20日  森みつぐ

 昨年の暮れ、厚生労働省は「働き方の多様化で、一律の目標値の設定は時代に合わなくなった」として、時短促進法が掲げる「年間1800時間」の労働時間を見直す動きを始めているとの新聞記事を読んだ。私は、これも政府の勧める限りなき競争至上主義の一貫と思えて、非常に不快に感じた。
 そして今年2月に入って、フランスが週35時間の労働では、国際競争に勝てないとして、下院が「時長」法案を可決したとの新聞記事が載っていた。なんとも悲しい記事であることだろうか。国際競争とは、何なのだろう。経済活動を優先し金儲けが人生の全てであるかの如く競争至上主義を煽る国々が、社会のゆとり、心のゆとりを求める国々や人々に多大なる悪影響を及ぼしている。
 昨今の日本社会の重苦しい状況は、多くの労働者のゆとりの消失が、社会のゆとりの消失に連鎖した結果であるように、私には思えるのである。そして政府は、更に労働者のゆとりを奪おうとしている。当然、その先に見えるのは、闇だけである。

Copyright (C) 2001-2005 森みつぐ    /// 更新:2005年2月27日 ///