夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 緑の大地と青い空
夢惑う世界4.1.2.5−2 緑の大地と青い空

2005年4月1日  森みつぐ

 先週、東京23区の外れに住んでいる姉の所に行って来たら、冬のある日ベランダで鉢植えの木の根元でうずくまっていたチョウを見つけたと言って、ティッシュの間に大事にしまってあったチョウを取り出した。“えっ!ルリタテハ!”ルリタテハも、都会のチョウみたいである。この姉は、以前アケビコノハを大事にしまっていたこともあった。
 都会では、緑が広範囲に広がっているところがないが、庭のある家では、いろんな草花が植えられている。草原や疎林に適応したチョウたちは、山野に行かなくても都会の中で、意識さえしていれば、見かけることが多い。
 私の住む沼津の市街地でも、ナミアゲハ、クロアゲハ、アオスジアゲハ、モンシロチョウ、ヒメジャノメ、キタテハ、ツマグロヒョウモン、ヤマトシジミ、ウラギンシジミ、イチモンジセセリ等を見かける。これらの幼虫の食草を庭に植えておけば、楽しい日々が送れるのだが、私には無理のようだ。ともかく、身近に生き物がいることは、潤いを感じるものである。


2005年6月19日  森みつぐ

 私は、石垣島に行くと、緑豊かなバンナ岳周辺と於茂登岳周辺の林道を歩いている。一日歩き回っても、飽きの来ない大好きな道である。
 ところが今回、久し振りに訪島して歩いたところ、何と99%の道が舗装されていた。マイカーが走り抜け出来るようになってしまった。この豊かな自然のど真ん中をマイカーが走ってゆく。大自然を満喫して、のんびりと歩き回るような所をマイカーが当たり前のような顔をして通り過ぎてゆく。そして、その後には、踏み躙られたチョウがべったりとアスファルトに塗り潰されてゆく。
 於茂登岳の麓にダムが出来、豊かな森林を切り裂くように舗装された道路が幾つも走っていた。相も変わらず地方では、無駄と思われる公共事業が続いている。自然との共生は、人間側が拒否したままである。万勢林道では、道路脇に茂り始めた昆虫たちにとってはご馳走の食草が、業者によって刈り取られていた。
 自然を理解することなく、人の勝手な都合によって緑を蝕んでゆく。復元が困難になる前に気付いて欲しいものである、この愚かな行為を。


2005年7月10日  森みつぐ

 私の住む沼津市には、檜が植林された愛鷹山が富士山との間に居座っている。沼津に住み始めたとき、よく休みの日には、この愛鷹山の山腹を貫く林道を歩いたものである。それ以前から、林道は、車が通れる道であった。そして、ところどころの沢には、ソファーや冷蔵庫などの大きな廃棄物が捨てられているのを見たものである。最近では、大量の産業廃棄物が捨てられていて、大きな問題にもなっている。
 20年前、しばしば石垣島を歩いていた。愛鷹山で見受けられたような景観を台無しにするような廃棄物は、その当時は、殆ど見られなかった。ところが、今年久し振りに石垣島を歩いてみて、ところどころの林道の沢に大きな廃棄物が捨てられているのを目の当たりにした。林道は、すっかり舗装されて、車での通行が前提となってしまっていた。
 公共よりも個人を重んじる考えが優先され、利己主義が幅を利かせている。利己主義では、社会は成り立たないことを知らしめる必要がある。法を無視してまでもして、自分だけ良ければは、社会を蝕み、そして巡り巡って自分をも不幸になることを知らなければならない。利己主義が得をする社会にならないようにと、願うばかりである。


2005年12月3日  森みつぐ

 私は家では、南向きの窓の横で、机に向かってマウスを握りながら、また鉛筆を持ちながら仕事をしている。夏の間だけは、厳しい直射日光で部屋が熱せられるのを避けるため、窓を閉め遮蔽用のカーテンをする。昼間なのに暗くなるが、クーラーを使わないためには、この方が室温が上がらなくて済む。それ以外の季節は、明るい方がいいのでカーテンを開ける。
 たまに窓を明けると、窓の下にゴミが投げ込まれていることがある。ツツジの生け垣があるが、道路からポイと捨ててくるのである。コンビニの弁当を食べて、袋に詰め戻して、そのまま捨てるのである。道路側からは見えないが、窓を明けると、ゴミが散乱している。
 昔からゴミを無造作に捨てる人はいた。しかし今は、以前よりも酷くなっているように思える。側溝には、ゴミの入ったコンビニ袋、ペットボトル等々が所狭しと転がっている。便利さがゴミのポイ捨てを促進する。
 経済が発展して、人々の公共性が失われてきた。人の心を犠牲にして、経済は発展してきたのである。この二つ、相反することではないのだが、国が企業がそうしてきた。そして、今の自民党は、更にそれを押し進めようとしている。
 ・・・・・・・窓の下のゴミ、いつ捨てようかな。放っておくかな。


2006年3月9日  森みつぐ

 先日、啓蟄を迎えた。冬籠もりの虫が這い出してくる日と言う、24節句の一つである。三寒四温が始まって私も春になると、毎年“モンシロチョウはいつ見かけるかな?”と思いながら歩いているのだが、街中では見かけることもなく4月を迎えてしまう。テレビでは、沼津でも8日にモンシロチョウが初見されたと放映していた。
 新聞に気象庁調査によると過去50年間で、サクラ、ウメ、ツバキやタンポポの開花が早まっていると載っていた。地球温暖化の影響だろう。しかし、ウグイスの初鳴き、モンシロチョウ、キアゲハ、トノサマガエル、シオカラトンボ、ホタルの初見は、いずれも遅くなっているとのことである。「生息数が減少すると、目につきにくくなる。動物の季節現象の異変には、環境変化が影響しているのだろう」とのコメントがあった。
 私は、温暖化の影響で南方のチョウがどんどん北上してきて、“楽しいだろうな”と思ってしまう。確かに沼津でも、ごく普通にツマグロヒョウモンが翔び、ナガサキアゲハも見かけるようになった。ところがである。そう言えば、北方系の蝶はどうなるの?単純に初見が早くなる訳ではない。一年中、気温が上昇している訳だから、北方系の生き物たちにとっても、非常に暮らし難い筈である。どんどん北上し、どんどん高山に移動する。当然、私たちの視界から消えてゆくことだろう。
 困ったもんだ!


2006年4月9日  森みつぐ

 数年前から、ここ沼津でも南方のチョウであるツマグロヒョウモンが増えてきた。そして、それとともに幼虫の食草である濃い紫色のスミレが、駐車場などの周辺で見受けられるようになってきた。
 私は植物が苦手なのだが、どう見ても園芸種ではなさそうであった。図鑑と睨めっこしていると、ヒメスミレみたいな気がする。可憐なスミレなので私には、余り生命力が強そうには見えなかったのだが、最近では、路傍のアスファルトの隙間にしっかり根付いているのが、あちこちで見受けられる。また白い花のスミレも見かけるので、アリアケスミレも街中に進出しているみたいである。やはり、野草たちは逞しい。
 それで私は、そのスミレたちを見ると、葉っぱに幼虫たちの食痕がないかどうかを探したりする。花が咲いているときはいいのだが、花を付けなくなると、スミレだとも知らず雑草として引き抜かれたりする。四季は、悲喜こもごも流れてゆく。


207年2月7日  森みつぐ

 今日、税金の申告に行ってきた。今までは、勤めていた会社が本人に変わって税金の申告を行い、給料から(源泉)徴収していたから、税金の仕組みを知らなくても済んでいたが、これからは違う。今年は、納め過ぎた税金(源泉徴収)が、少し戻って(還付)きそうである。
 ところで本題だが、この税金のことではなく、その帰り道でのことである。郵便局の脇道を歩いていると、枯葉が落ちていた。暖かい沼津では、生垣や庭木には、断然、冬でも緑の葉を着けている常緑樹が多い。落ち葉の季節が終わっても、常緑樹の葉が風に舞う。いつも、そんな草木に目を遣りながら歩いているのだが、今日も、アスファルトの路面に落ちていた小さな枯葉を見ていた。"あれっ!"枯葉の上に、鮮やかな緑色した物が載っている。立ち止まって拾い上げてみると、なんとアオスジアゲハの蛹である。こんな街中で見かけるとは、思ってもいなかった。
 昆虫たちの中にも、こんな街中が好きな変り種も意外といる。人間の生活圏で暮らすのは、非常に不安定であるはずだが、棲息できる環境ならば、何処にでも適応する優れものたちである。その典型がゴキブリなのだが、彼らは、街中に彩を与えてくれない。
 もう少し街中の緑を、チョウたちの食草で埋め尽くせば、もっと街がきらびやかになると思うのだが、どうであろうか。沼津の街中でも見かけるチョウたちは、ナミアゲハ、クロアゲハ、モンキアゲハ、アオスジアゲハ、モンシロチョウ、ヒメヒカゲ、キタテハ、ツマグロヒョウモン、ゴマダラチョウ、ヤマトシジミ、ウラギンシジミ、イチモンジセセリなどである。これらチョウたちは、冬の間も身近なところで寒さを凌いでいる


2012年8月23日  森みつぐ

 私の住んでいる定山渓を含む札幌の南地区で聞くことのできるセミは、春に啼くエゾハルゼミに始まり、夏のアブラゼミ、コエゾゼミ、エゾゼミ、アカエゾゼミ、ツクツクホウシ、エゾチッチゼミ、そして数の少ないミンミンゼミの8種類である。このうち、平地では、エゾハルゼミ、コエゾゼミ、エゾゼミ、アブラゼミとツクツクホウシの5種類である。
 私が札幌に引っ越して来てから、昨年までの5年間は、セミの聲に変化がなかったのだが、今年は、幾分変化を感じていた。春、5月中旬に山でエゾハルゼミが啼き始めたのは変わらなかったが、数が少ないように感じていたし、平地でも啼き始めても、なかなか賑やかにならなかった。そして6月中旬には、啼き止んでしまったのである。7月下旬、平地でアブラゼミが啼き始め、続いてツクツクホウシも啼き出した。ここまでは、いつもの夏とは変わらなかったのだが、コエゾゼミやエゾゼミの聲がいつまで経っても聞こえて来ない。山では、単独で啼くコエゾゼミ、エゾゼミがいたけど、全く物足りなかった。まして、エゾチッチゼミは、全く聞こえてこなかったのである。ミンミンゼミは、最初から数は少なかったが、今年は、いつも聞く場所より1kmほど奥に入ったところでも聞くことが出来た。
 今年、変だなと思ったのは、北方系のセミであるエゾゼミの仲間やエゾチッチゼミである。本州方面のアブラゼミ、ツクツクホウシ、ミンミンゼミなどは、平年通りだったように思われる。このようなことになった原因は不明である。ただ、一昨年、昨年の暑さがなにか起因しているのかも知れない。引き続き、来年の夏も注視してゆかなければならないだろう。


2012年9月6日  森みつぐ

 私の昆虫フィールドである林道は、まだまだ残暑で蒸し暑い日が続いているが、草木は、すっかり色褪せてしまい秋はいつもの通りにやってきていた。林道沿いの草木をじっくり見渡しながら歩くので、たっぷり時間がかかってしまう。40分ほど歩いていると、林道に残った轍の間の草の中に真っ白なお腹を出して、一匹の小さな動物が引っ繰り返っているのを見つけた。
 死んでから、まだ間もないと見えてハエが群がってなかった。イタチの仲間のオコジョかイイズナかと思ったが、体長が15cmに満たないので、どうもイイズナのようである。オコジョもイイズナも、一度も見たことがなかったが、やけに小さな肉食動物であり、なかなか格好いい動物でもある。林道を歩いていても、野生動物に出会うことなんて、殆んどないのが現実である。林道で見かける動物の屍は、ヤチネズミぐらいである。泥道の足跡や糞から、大きな動物はヒグマ、エゾシカ、タヌキとキツネだと思っているが、実物は一度も見ていない。
 野生動物たちをこの目でじっくり見てみたいものだが、なかなか姿を見せてくれないので、これからは、野生動物たちが残していった足跡や糞を観察して、アニマル・ウォッチングを楽しんでみたいものである。帰り道、またイイズナを確認したら、既にハエが群がっていた。屍体は、あっと言う間に、昆虫たちに葬られてしまうのである。

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