夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 心のグラデーション |
4.1.2.6−3 心のグラデーション |
2003年12月30日 森みつぐ
舗道には、誰もいない。車だけがひっきりなしに、車道を走り抜けてゆく。ファーストフード店にも、スーパーマーケットにも、車がいっぱい停まっている。それなのに舗道には、誰もいない。街は、閑散としている訳ではないのに、人がいない訳ではないのに、舗道には人影がないのである。何かが、おかしくなっている。ここは、南アフリカ南部の町ジョージである。
治安が悪いから。確かに、それも一つの原因かも知れないが、治安のいい昼間から人通りが少ないのである。やはり、車社会の弊害であろう。遊びも買い物も目的地までの移動には、全て車になった。移動は、煩わしいこと、特に、歩くことは避けたいと願っている。ただ、ただ面倒で厄介なことなのである。
街からは、人の声が消え、子どもたちが走り回り歓声を上げることもなくなった。人と人とを結ぶもの、人と地域社会を結ぶもの、それは社会を構成する上で、また社会の潤滑油として必要不可欠なものであったはずなのに、人は自らそれを葬り去ろうとしている。
そして、モラルは低下し治安は更に悪化する。どこの国でも同じ方向に進んでいるようだ。
2004年12月5日 森みつぐ
外来種による国内の生態系破壊を防ぐため、来年6月に「特定外来種被害防止法」が施工されるとのことだが、釣りで超人気のブラックバスを規制対象種から除外するよう釣り具業界や議員連盟がロビー活動を行っているとの新聞報道を読んだ。
新聞には、大きな口を開けたブラックバスの写真が載っていたが、それを見て私の口も開いたままとなった。この件に関しては、カブトムシやクワガタムシの輸入解禁と一緒で、今更、何も言うことはない。輸入業者、販売業者は、当然金儲けになることならモラルなんて関係なく何でもする。そしてその理由は、消費者がそれを望んでいるからと自己責任を転嫁する発言しかしない。そして、その消費者であるマニア(オタク)は、自己中そのものである。
法律は、骨抜きとなり本来の目的を達することが出来ない。それが、今の日本という国の真の姿である。何処かでたがが外れたまま、日本は突き進んでいる。
2005年4月27日 森みつぐ
JR西日本の福知山線で起きた脱線事故は、凄まじいものであったことだろう。未だに、犠牲者の全てが運び出されていない状態であり、原因も、まだ究明中である。
ここで私は、この事故について書こうと思ったのではなく、この事故を見て、他のことを思った。交通事故で、飛行機の場合は、ほぼ乗客全員が確実に犠牲となる。電車事故の場合も、多くの人が、犠牲となる。従ってメディアには、大きく取り上げられ報道される。そして、人々は、事故を起こした会社を批判・攻撃する。
私が思った他のこととは、自動車事故のことである。自動車事故は、余程酷い惨状でない限りメディアは取り上げたりしない。日常茶飯事のことは、メディアも大衆も興味を示さない。なんという国なんだろうか。毎年100万人もの人が傷害を負い、1万人もの人が犠牲となっている自動車事故は、記事にもならない。麻痺してしまった人の心は、他人の痛みを感じ取ることが出来なくなってしまった。自分に身近な人の事故や巨大な事故のみにしか反応しなくなって、他人の事故や自動車事故には、不感症になってしまっている。悲しいことである。
それにしても、今回の事故は、悲惨だ。犠牲者のご冥福を祈る。
2005年7月24日 森みつぐ
ウラジオストックの空港から街中のホテルへ向かう途中、渋滞にあった。渋滞が起きるほど車が走っていた。
次の日、ウラジオストックの街中を歩いてみると、この街も車で溢れかえっていた。その殆どが日本車である。そして多分、中古車なのだろう。日本語をそのまま残した車体のワンボックスカー、トラック、バスなどが走り廻っている。クロネコヤマトの宅急便も走ってゆく。東南アジア、アフリカなどの後進国では、よく見受けられる光景だが、ウラジオストックもそうだった。そしてマイカーが席巻している。
しかしウラジオストックは、バス、路面電車が市内全域を縦横無尽に走り廻っている。バスは、どれも満席状態だった。マイカーが無くても充分のような気がするが、市場経済は、人の心も変えてしまうようだ。
ところがこんなに車が多いのにも拘わらず、交差点では信号機を見ることが少ない。最初、道路を渡るとき、少し躊躇したが横断歩道のあるところを車が空いたときに歩き始めれば、車はスピードを落としながら何とか通してくれる。これがウラジオストックの暗黙の交通ルールである。日本では、横断歩道を渡るのも命懸けである。
ルールがあってもそれを守らなければ、更に危険は増してしまう。日本人の心の錆は、日本人としての感性を鈍らせてしまっている。経済市場主義が日本人の心を錆び付かせている。ウラジオストックも、そうなって欲しくないものである。
2005年8月19日 森みつぐ
参議院で郵政民営化法案が自民党内の反対者続出により、否決された。小泉首相の強権発動の一部始終を見ていると、一人の人間として異様さを感じてしまう。もしかすると独裁者というのは、こういう局面から現れてくるのかも知れない。
私は、極端な民間至上主義者ではない。極端な競争至上主義者でもない。そして、極端なほど小さな政府を求めている訳でもない。何故、小泉首相は、白と黒の対立構造にしてしまうのだろうか。思考することを止めてしまった人たちにとっては、とても分かりやすい説明なのかも知れない。その証拠に、小泉首相の支持率は相変わらず高い。こうして独裁政治は、始まった・・・。
官の抜本的改革は、民ではないはずである。白と黒しか想像できない人に、この日本を託す訳にはいかない。次の衆議院選挙は、久しぶりに高い投票率になるだろう。さて、脳天気な日本人は、どんな結論を出すのだろうか。
2005年9月4日 森みつぐ
今回の衆議院選挙を郵政民営化の国民投票だと言う小泉首相だが、郵政民営化問題が国民投票に馴染むものなのだろうか。郵政民営化に賛成する人は、多分私は、多数を占めると思っている。何故ならば、都会に住む人たちにとっては、郵政民営化によって不利益を被るものではないのである。国鉄がJRになったからと言って、不利益を被った人たちではない。不利益を被る人たちは、地方に住む少数の人たちなのである。
小泉首相が行ってきた改革とは、この少数の人たちを切り捨ててきた改革である。地方をないがしろにして、少数をないがしろにして、弱者をないがしろにしてきた改革の総締めが、この郵政民営化なのである。勝者の論理(企業の論理)、多数派の論理で郵政民営化を論じていいものなのだろうか。郵政民営化は、多数決で決めるような問題ではない。
自分が得することばかりを気にする事よりも私は、今、日本人の心から失われつつある他人に気を配る心、他人を思いやる心が、これからの社会にとって必要なことと思っている。郵政民営化の法案は、まだまだ欠陥だらけである。国民をないがしろにせずに、まだまだ論議を続けて欲しいものである。
2005年12月28日 森みつぐ
ウルグアイの地方都市ミナスに滞在していた。昆虫採集を終え、一日の片付けをしてから夕食に出た。7時半、まだ外は明るい。小さな街並みだが、賑やかである。ここの人たちは、ソフトクリームが好きなのか、ソフトクリーム屋さんが数多く店を出している。
食堂らしきところに入ったのだが、まだ誰も食事はしていない。夕食はないのかと思い訊ねてみると、8時20分からとのことである。どうもみんなのんびりしているかと思ったら、私との時差が2時間ばかりである。暗くなるのは、9時頃だった。
そう言えばアルゼンチンを旅しているときもそうだったが、人々は長い夜を有意義に暮らしているようである。日本ではサマータイムを導入して、明るい夜を楽しく過ごそうと云っても、残業するだけで労働強化になるからと云って反対する人たちが多い。悲しいことである。ウルグアイは、日本に比べると経済的には取るに足らない国であろう。しかし豊かさを比較するとどうであろうか。消費しきれないほどの物に溢れた生活がなんだというのだろうか。そのために、多くの豊かさを手に入れることを犠牲にしているというのに。
日本人の心の豊かさは、企業の手中にある。優良な企業とは、労働者をいつ如何なる時も管理し、個人の生活よりも経済活動を優先する。サマータイムを導入すると、その分は、企業の持ち分とされてしまうのである。そして更に最悪な事態が起きている。あのタレント首相が民間企業を賞賛し、競争至上主義に邁進しているのである。
少子高齢化が進んでゆく中、私たちは、今後の日本の在り方を真剣に考えなくてはならないだろう。ウルグアイみたいな他の国を参考にしながら。
2006年7月11日 森みつぐ
いつものジョギングコースを走っていた。大きな幹線道路の脇では、建設工事が始まっている。いつも走っているコースなのだが、最近、そこを走る度に、何か違和感があった。“何か、今までと違うんだよな!?”
何回かそんなことを考えながら走っていると、ふと思い出した。小鳥たちの囀りが聞こえてこないのである。以前なら、夕方ここを通ると、こんもりと茂った木の上を塒にした数多くの小鳥が喧しくお喋りをしていて、そしてその木の下は、白い糞で一杯だった。ところが、私が気が付いたときには、2〜3本あった木を含めて、跡形もなくなっていた。全く、気付かないまま半年が経っただろう。
建物の工事の邪魔になるのか、建物の景観の邪魔になるのかは分からないが、人間の都合で、小鳥たちの塒は、一瞬で奪われてしまった。朝、塒を飛び立ち、夕方、戻ってくると、塒の木が見当たらない。ヒヨドリだと思うのだが、右往左往したことであろう。何とも冷酷な仕打ちであろうか。
そこを走る度に、鈍くなった自分の感性に反省する次第である。
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