夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 青息吐息・虫の息
夢惑う世界4.1.2.7−1 青息吐息、虫の息

2000年9月15日  森みつぐ

 NHKに、『プロジェクトX』という各種プロジェクトの成功物語を取り上げているテレビ番組がある。開発プロジェクトに参加した人たちは、それこそ寝食を忘れて難問難題を乗り越えてゆき、目標を達成するという美しい物語である。
 私は、この番組を見る度に考えてしまう。私は、会社の仕事を人生の目的とは考えていない。仕事は、人生を楽しくするための一手段という位置付けである。人生の目的は別にあり、それを金儲けのための仕事にするつもりはなかった。だから、公私の区別は、明確にしている。寝食を忘れて会社の仕事に没頭するなんて、とんでもないことである。大企業の中で、仕事と趣味が両立するとは思えない。私には、この番組に紹介される人たちが、奇人・変人にしか見えてこないのである。趣味が仕事となる人もいるだろう。アイデンティティを見つけることができず、会社から与えられた魅力ある仕事?に、アイデンティティを投影してしまう人も多数いるだろう。私は、それを否定するつもりはない(でも、とても残念なことである)。そのような人は、寝食を惜しんで死ぬまで働けばいい。
 私は、この番組に危惧を感じるのは、この番組を見ている管理職や会社人間たちが、敗戦後の復興期に、失われたアイデンティティを取り戻すために、戦勝国に追い付こうと寝食を惜しんで働いた、あの状況を賛美し始めないかと思うからである。案の定、ここかしこから聞こえてきた。”会社に、全人格を投入しろ!”と。・・・・??


2001年7月28日  森みつぐ

 NHKスペシャル「貴方も会社を変えられるか」を観ていた。私の場合は、ながら族なので、何かをしながらテレビを聴いている。そして、たまに目を遣る。暫く聴いていると、私がタイトルだけで思い描いていた内容とちょっと違うみたいである。今まで、会社にとっての変わり者が、会社に新しい息吹を与えるとのことである。
 番組で紹介していた人たちは、会社にとって変わり者であるのだが、私から見て仕事人間であることには変わらない。ただ、今まで会社は、多元的な視野で労働者を見ることができなかった。しかし昨今の大競争時代の到来で、そんなことが言えなくなってしまっただけである。生き残るための一手段なのである。会社の中での日陰者たちの成功物語であった。これを見ていて思い出したのが、プロジェクトXという番組だ。
 私の考える「会社を変えられるか」ではなかった。民主主義国家?日本の中の、独立した独裁組織である会社は、相変わらず日本という国家の目標が、物の豊かさを追求したNo.1を求めると云うことである限り、会社の倫理観は変わらない。従って、労働者の卑屈な倫理観も変わらない。
 私の心の中で虚しく、「会社を変えられるか」という言葉だけが響くだけであった。


2001年7月25日  森みつぐ

 7月、トヨタ自動車でのサービス残業について労働基準監督署が是正勧告した。多分、一流企業を含めた多くの大企業が組織ぐるみで、労働者にサービス残業を強要していると思われる。そして、組合はそれを知っている。サービス残業の根の深さは、ここにある。労使一体化した組織の中でサービス残業は、利潤・効率の旗頭となっているのである。
 サービス残業は、会社も違法行為であることは知っている。違法を摘発されても、尚、違法は繰り返される。私の知っている会社において地位ある人物は、”法律を守っていたら、会社が成り立たない。”と平然と言っていた。それが、会社の偽りのない企業論理なのである。
 何故、繰り返されるか。日本の労働法は、労働者を護るためにではなく、会社に痛手を被らせないための庇護となっているからである。サービス残業が摘発されても、せいぜい残業分を返却すればいいだけのことである。何ら金銭的ペナルティにも、社会的ペナルティにもならないのである。これでは絶対、倫理観の失せた会社からサービス残業は、なくなりはしない。
 いつの世も、損をするのは弱者である。悲しいかな、それが現実だ。


2001年8月21日  森みつぐ

 昨年、一昨年と年間の自殺者は、3万人を超えている。悲しむべき数字である。自殺は、一種の病気うつ病の結果である。うつ病に罹っていることが分かってさえいれば、未然にある程度防げる。
 会社の仕事でも、この病気に罹る。過労死自殺は、長時間労働による過労が原因のうつ病による。うつ病は、精神的問題であり、個人差があるのは当然ある。従って、うつ病になる長時間労働が何時間という閾値を一義的には決めることができないし、同じ労働時間でも、質によっても、労働者の置かれた立場によっても異なってくる。難しいものであるが、結果として死に至るかも知れない病気であるからして、企業もそれなりに労働者に配慮した対策をとる必要がある。
 しかし、どうであろうか。多くの労働者が、身近で自殺する仲間を弔ってきているのではないだろうか。その時、企業は、何をした。ただ、ひたすらにそのことを隠し続け、企業責任については、うやむやにして片付ける。恰も、労働者が自殺したときの対策マニュアルがあって(例えば、(1)家族の要望と云うことで、自殺したとは云わず、別の死因を公表して、原因の追求を避ける。(2)家族には、裁判沙汰にならないように、十分な対応を施し企業責任を問われないようにする。等々)、すぐに言動統制がしかれるようになっているみたいでもある。
 過労自殺の新聞記事を見ていても企業側は、“自殺をする数週間前は、残業も少ないから残業と自殺の因果関係はない”と反論しているのを見かけるが、明らかに労働者を人間としてみていないから、このような考えが出てくるとしか思えない。国の薬害訴訟や公害訴訟を見ているようで、被害者への思いやりがこれっぽっちも感じられない。ただ、あるのは、企業の素早い揉み消し工作だけである。長時間労働を強いる企業にとって、精神的に弱い労働者の残された選択肢は、自殺しかないと言うのだろうか。
 大競争時代の到来に伴って、浮き足だった企業は、早速人件費削減の施策として、成果主義や年棒性に切り換えてきている。即ち、労働強化を行っているのである。多分、労働者の自殺の増加する傾向は、暫く続くのではないだろうか。労働時間を含めて労働者が、人間として人間らしい生き方ができる国家にならない限り日本は、民主主義国家とは云えないだろう。
 長時間労働によって過労自殺に追い込まれなくても、いつかはあなたに過労死が待ち受けている。そんな企業は、社会的責任を果たすためにも、早く潰れた方がいい。それが嫌ならば、形骸化した企業倫理(規定)を捨て、本来あるべき、ごく当たり前な倫理観を雇用する側も雇用される側も習得することである。


2001年11月10日  森みつぐ

 不況を理由にリストラ解雇される労働者が増えてきた。それに伴って、解雇の不当さを争う裁判が増えてきたと言うことで政府が、解雇のルールを明確に決めるとのことである。
 そもそもリストラ解雇については、会社側にとって正当な理由があるとは思えないし、不況を理由に普段の状況では解雇できない経営側から見ると厄介な労働者も便乗解雇していることだろう。このような状況で裁判が増えることは当たり前なことなのである。

 東京高裁は、今までの判例の中で従業員を解雇できる要件として、以下のことを挙げている(読売新聞より)。
(1)人員削減の必要性
(2)配置転換など解雇回避に選択肢の有無
(3)解雇対象者を選定する客観性と合理性
(4)労使協議など解雇手続きの妥当性

 人件費削減のために正規社員を解雇し、賃金の安い派遣労働者にすげ替えたり、パートに置き換えたりする。そのために会社側は、手段を選ばず会社にとって厄介な(例えば、進んで残業をしない)労働者をまっ先に解雇する。
 それを防ぐために、明確な解雇ルールを設ける必要があるが、それを会社側に悪用されないようにする必要もある。当然の如く会社側は、悪知恵を働かせて自分の都合の良いように解釈して、更なるリストラ解雇する懸念がある。日本のリストラ解雇は、アメリカの一時解雇とは違う。中途半端な解雇ルールは、会社側の思う壺であることを踏まえた上で、ルール作りをして欲しいものである。

Copyright (C) 2001-2002 森みつぐ    /// 更新:2001年11月18日 ///