夢惑う世界 雑記帳 随想録<澪標> 青息吐息・虫の息 |
4.1.2.7−2 青息吐息、虫の息 |
2002年3月2日 森みつぐ
先月、みちのく銀行において、55才を超えた行員を対象に賃金を削減させたことは、合理性がないとして仙台高裁が銀行側に賠償を命じたという新聞記事を、何処も彼処も同じようなことをしていると思いながら読んだ。
役職にすることによって、組合を脱会させる。多分、多くの労働者が勘違いしている可能性があるのだが、組合員でなくなると労働基準法を守る必要性が無くなると思っているのではないだろうか。組合員でなくなったからと言って、必ずしも労働基準法を守らなくてもいいと言うことではない。労働基準法九条には、事業に使用されている者で賃金を支払われる者が、労働基準法によって保護される労働者であると記述されている。役職=管理職ならば、労働基準法に従う理由はないだろうが、部下もいない非組合員の役職者は労働者である。企業は、役職手当てを支給して、サービス残業を強要する。非組合員であるが故に、時間外労働についての36協定の締結は行っていない。従って、残業をさせる法的根拠は、企業側には、ないのである。しかし、組合を脱会させられた労働者には、戦う術がないので、黙してサービス残業を続けるほかないのである。休日出勤しても、残業代はつかない。違法行為は、公然と行われ続ける。
昨年、労働基準監督署の調査で、約30%の事業所でサービス残業が行われていることが判明した。しかし、組合を離れた労働者である役職者たちについては、多分、調査外になっているものと思われる。サービス残業は、中高年の非組合員役職者たちに多いのである。
また、昨今のリストラ・ブームの乗って、みちのく銀行と同じように、役職定年の時期を引き下げたり、賃金の削減を行っている。右肩上がりの時には、仕事量も多く、役職者をどんどん作り、サービス残業をさせることで企業は利益を得ていたのだが、長引く不況が、今度は、肥大化した役職者たちへの役職手当が経営に大きくのしかかってきたため、中高年役職者への締め付けを必死になってやり始めている。ワークシェアリングは、企業にとっては、サービス残業という美味しい既得権益を失うことになるので導入に際しては、抵抗をすることだろう。
大火という災害時の火事場泥棒のように、大不況のどさくさに紛れて企業は、労働強化を伴う賃金削減策を打ち出している。
全てがモラルのない企業倫理に基づく、利己主義的な企業経営のために、多くの労働者が憂き目に遭っている。
1998年12月18日 森みつぐ
「1日は、24時間ある!」という言葉は、会社で良く聞かれるフレーズである。
しかし、「時間を掛ければいい」という考えのもとで作業をしていたら、いつまで経っても能率的な作業方法が身に付かないないことになる。
会社人間にとって、睡眠時間が5〜6時間というのは、当たり前のことみたいである。ところで、宇宙において宇宙飛行士の睡眠時間は、5〜6時間だと言う。この短い睡眠時間だと、作業に重大なミスを起こすことになりかねないと、睡眠に関する実験がシャトルにて行われている。この差は、何から生じてくるのだろうか。
人間は、一般的に生理上8時間の睡眠時間を必要とする。
会社での活動が個人の生活に影響を及ぼさないように、また個人の生活が会社での活動に影響を及ぼさないように、相互間の調和が必要である。このような理由から、残りの16時間は、8時間が公、8時間が私というのが人間的である。また、生理学上人間は、日中活動する動物であるので、当然、休日というのも必要となる。
「1日は、24時間ある!」という言葉は、人間を人間として捉えないで、利潤追求を優先した機械として捉えた物の見方なのである。フェールセーフの思想は、機械だからこそ成り立つ論理なのであり、生身の人間には、通用しない。一度失われた機能を元通りにするのは機械だからできるのであり、生身の人間には、適用してはいけない論理である。企業論理は、この考えがまかり通る社会なのである。必要以上に無理をし、限界以上に頑張った結果、労働者は、心も体も擦り減らし、そして全てを喪う。
忙しいのが、皆も一緒ならば、その組織は、まもなく破綻するだろう。ある個人が破綻し、その結果、次から次へと個人の破綻が連鎖してゆき、最終的に組織が破綻する。
忙しさが常態と化した組織は、早かれ遅かれこの途を辿ることになる。忙しいというレベルが正常な状態を逸脱しているのである。同じ8時間でも、休憩の時間も取れ余裕のある8時間と、切羽詰まったように忙しい8時間がある。ところが、この組織における忙しさは、遥かにこれを上回り、そして常態化している。この忙しいのが、皆も一緒ならば、多くの労働者が精神的病の中で潰れてゆくことだろう。もしくは、それを支えている周囲の人たちが潰れてゆくことだろう。
忙しさは、ある時間の枠内で求めるべきである。人間は、生身だからこそ、生きている価値がある。その繊細な部分を覆い隠し、また鈍感にさせて働き続けることは、組織の価値観を植え付けさせ、労働者のアイデンティティを喪失、または確立させない。
これらの言葉は、心に対する暴力であり、人間の尊厳を踏みにじるものであると言えるだろう。
2006年3月31日 森みつぐ
日本航空が飛行機のトラブルを続けている最中に、今度はスカイマークエアラインズが整備不良の飛行機を飛ばして、問題を引き起こしている。飛行機が一度飛び立つと乗客は、その命を飛行機に任すほかない。乗客の命は、整備士の腕に大きく掛かっているのである。
この二つの問題の背景は、同じである。過密な労働、成果主義に基づく賃金抑制等々労働者には、先の見えない氷河期が訪れている。競争至上主義と“民間に出来ることは民間に”と言う国策の結果であることは、疑う余地がない。
この問題は航空会社だけの問題でないことは、誰しも察しが付くだろう。多くの企業でも、このような状態で労働を続けていることだろう。労働者は、整備不良飛行機と同じく金属疲労となっている。
2007年1月22日 森みつぐ 先週、日銀は、金利の利上げを見送った。いざなぎ景気を超える景気が続いていると言いながら、その恩恵を受けているのは、企業と勝ち組ばかりである。今回も弱者である人々は、蚊帳の外となった。政府の視野には、最初から弱者が映っていないようだ。政府・中川幹事長の脅し文句は、弱者をも踏み躙る言動であった。
物価上昇を見極めると言うが、デフレをもたらしたのは、政府の政策による。競争至上主義に走れば、物価下落に陥るのは、当たり前と思われる。薄利多売は、まだまだ続くだろう。私たち一人ひとりが生産者であり、そして消費者でもある。安く物が手に入るのは嬉しいことだが、働いて得る給料も、じり貧となってゆく。弱者は、このスパイラルから抜け出すことは難しい。
身を削って蓄えた貯金だというのに、その僅かな利子さえも、政府は、弱者に振り向けようとしない。結局、政治とは、強者や勝ち組を保障するための目的となってしまっている。
2007年2月23日 森みつぐ 日銀が、やっと金利の利上げを実施した。とは言え、まともとはとても思えないほどの低金利であることには、変わりがない。このペースだと1桁低い金利が、まともな金利水準になる前に景気後退で、またジリ貧になりそうである。
預金金利も上がった。翌日には、金利利上げにも拘らず、株価も上がった。喜んだ人たちもいただろう。反面、住宅ローンなどの金利も上がるため、生活が苦しくなると思った人たちもいただろう。しかし、本件で一喜一憂した人たちは、中流階級以上の人たちであろう。預金もなく、まして株には全く無関係な低所得者たちには、相も変わらず、社会の底辺で息を潜めて生きている。
日本の福祉政策は冷たい。国が腐心して、今日の食事にも困っている低所得高齢者たちのなけなしの年金を削ったり医療費負担を上げたりと、弱い者いじめを行っている。人として尊厳ある生活が送れる最低限の保障を、国が行う責任があると言うのに。
2007年10月5日 森みつぐ NHK北海道のニュースを聞いていた。ながら族の私なので、少し正確さに欠けるかも知れないが、その内容は「北海道庁の職員で、心の病で一ヶ月以上の休みを取った人が、200人以上増えた」とのことだった。
私は、北海道庁職員が何人いるのかは知らないが、200人と言う数は、相当高い割合だと思われる。その人たちが、心の病で一ヶ月以上の休みを取っているなんて、まともな組織だとは到底思えない。心の病とは、どう言う病なのだろうか。それは、どう言う環境で発症するのだろうか。
民間企業においても、競争至上主義、成果主義などと労働者一人ひとりに重い負担がかかる中、心の病に侵される労働者は、増え続けている。公務員も、民間と比較され、同じように、大きなストレスの中で仕事を続けている。何故、そのようなマイナスになるようなシステムを運用し続けるのであろうか。このようなストレス社会は、個人にとっても、組織にとって、マイナスにしかならないと、私は思うのだが、どうであろうか。
2007年12月28日 森みつぐ 先日の新聞に、読売新聞社による「心の健康」に関する世論調査が載っていた。「最近、ストレスを感じることがあるという人は計68%で、2001年11月の前回調査(計60%)を8ポイント上回った。」特に、女性、中でも専業主婦が大幅に増えたとのことである。
労働者を取り巻く労働環境の悪化や女性を取り巻く社会環境の捗らない改善が、ストレスの大きな要因となっているのだろう。戦後最長の好景気と言いながらも庶民には、全く実感がないところか、先の見えないゆとりない生活が、バブル崩壊からずっと続いている。バブル崩壊後、しばらくは、ゆとりのない生活苦だけだったのが、経済のグローバル化の名の下に労働環境、そして社会環境が悪化し、強いストレス社会に突入した。
経済的にも時間的にもゆとりがなくなり、そして心のゆとりも奪われてしまった。競争至上主義を謳う国の政策に踊らされ続ける国民は、己の限界まで辛抱し、そしていつしか心の病に陥ってしまったのである。
2008年5月1日 森みつぐ 連日、有毒の硫化水素を発生させて自殺を図り、近隣の人たちが避難している報道が続いている。毎年3万人以上の人たちが、何らかの方法で自らの命を絶っているのが、この日本の実態である。
4月に硫化水素自殺をした人は、80人に上ると言うが、未だに1日当たり80人もの人が自殺をしているのである。硫化水素自殺は、周囲の人たちにも悪影響を及ぼすことは確かであるが、自殺する当人にとっては、それどころでないのである。問題は、硫化水素による自殺ではなく、何故、死を選ばなくてはならなかったかである。
年間3万人の自殺と聞いて、なんとなく"多いな!"と思うだけだったのが、昨今の硫化水素自殺報道によって、私たちの身近なところに、こんなにも自殺する人がいることを実感したのではないだろうか。自殺大国日本、自殺を選択しなくて住む環境になるには、どうしたらいいか私たちは考え、行動する必要があろう。
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