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  update 2007. 5. 11

踏 破 日 2007/04/29
コースタイム 12:00〜14:05
歩 行キロ 4.3q
累 計キロ 21.9q
踏 破 率 4.5%

 
ああ懐かしの川崎宿

六郷橋(多摩川)〜JR国道駅
 

(前の 第一京浜はクルマばかり へ戻る)

   

  多摩川を渡る。当時の渡し舟は今や無い(アタリマエ)。川の中央付近で神奈川県(川崎市)へ足を踏み入れる。多摩川の河川敷は天気の良い休日とあって草野球やゴルフの打ち放し、散策やサイクリングを楽しむ人たちで賑わっていた。

  ところで小生は神奈川県下の旧東海道(川崎〜箱根)を高校時代(昭和55〜56年)に部活動の一環として何回かに分けて歩き通しており、ここから箱根までは懐かしさいっぱいの行程とも言える。この時の経験が今回の企画の引き金になったことは言うまでもないのだが、言い換えれば高校時代に歩いた時から今回の「全踏破」は運命づけられていたのかも知れない。

   

  

   川崎宿はJR・京急川崎駅の東側にあった宿場で、今はビル街となっているものの、宗三寺・稲毛神社・教安寺といった社寺や本陣跡等の案内板が当時の面影を偲ばせる。ちなみにここ川崎も近年になって旧宿場町としての各種案内や石碑等が充実し、史跡研究ファンには嬉しい限りである。

   さぁ昼だ。道脇の「神戸らんぷ亭」でおろし牛皿定食(¥600)をたいらげ、さらに南下する。

   

 

  大きな交差点を渡り砂子(いさご)通りへ。当時も今もこの辺が賑わいの中心地である。 

   

 

  川崎宿が終わりに近づき、京急八丁畷駅が見えてきた。その踏切の手前には「芭蕉の句碑」がある。

麦の穂を  たよりにつかむ  別れかな

 元禄7(1694)年5月、当時江戸に住んでいた芭蕉は長崎へと旅立った。その際に別れを惜しむ江戸の門人らがここまで見送り、芭蕉がこの句を詠んだとされる。

   
 

 八丁畷駅を過ぎると完全に宿場を出たという感じの閑散とした道になり、クルマもあまり来なくなる。そうしたなか、右の一里塚跡に出会う。ここは「市場一里塚」、日本橋からから五里である。

  一里塚の形状は道の両側に盛り土がされてその上に榎(エノキ)を植えたものが完全版であり、それに比べれば当時の面影を偲ぶべくもない現状ではあるが、石碑や案内板がしっかりして祠もあったりと日本橋からの一里塚跡のなかでは今のところ「一番」の形状である。

   

   

   鶴見川橋が見えてきた。これを渡ると横浜市に入る。ちなみに橋を渡るとマンションやら商店やらで急に周囲が賑やかになってくる。 

     
 

  賑やかさが増すと京急鶴見駅に着く。旧街道は京浜急行をナナメにアンダークロスして「鶴見銀座商店街」となる。(写真赤矢印)

 

    
 

  その「鶴見銀座商店街」が途切れると再び国道15号線(第一京浜)との交差点に差し掛かるので、写真矢印の通り直進する。すると程なくJR鶴見線国道駅の高架が見えてくる。

   さて時刻は14時。まだまだ歩けそうな時間なのだがナンとフィルム切れだ! 残念ながら続きは明朝からとしたい。

  (あぁ早くデジタル一眼レフに乗換えたい…) 

 →次は 神奈川一里塚は… です。