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  update 2007. 7. 3

踏 破 日 2007/04/30
コースタイム 8:00〜11:20
歩 行キロ 9.4q
累 計キロ 31.3q
踏 破 率 6.4%

 
神奈川一里塚は…

JR国道駅 〜 相鉄天王町駅
 

(前の ああ懐かしの川崎宿 へ戻る)

   

   昨日のフィルム切れにもめげず、GW期間中に少しでも距離を稼ぐべく連日の出動である!この付近の旧東海道は概ね南西の方向に伸びているため、なるべく午前中に多く歩いた方が写真の映りが良いのである(順光のため)。

   鶴見線国道駅を降り、再び旧東海道に立った。よし、今日も気合は十分であるぞっ。

   写真はJR国道駅のガードである。この駅はガード下のアーチ状の駅構内が昭和20年代の雰囲気を醸しており非常に興味深いのだが、それは別カテにて扱うべき内容なので今回はパス。(涙) 

   

  

  しばらく歩くと川崎でいったん別れた国道15号線(第一京浜)に合流し、ほどなく幕末の事件「生麦事件の碑」を通過する。さらに少し行くと江戸から六里の一里塚があったとされる地点がJR新子安駅少し手前にある(右写真付近)のだが、現在は何も残っていない。 

   

 

   行程では少し先を右折する予定なので道路の反対側へ渡る。すると例のキロポストに出くわした。歩いた季節がらツツジの植込みが満開であった。

   ところでこの写真を撮るときに気づいたのだが、ここは上り車線であるために表記が「日本橋“まで”28km」となっているのが面白い。下りの場合は初日の写真にもあったように「日本橋“から”〜」 と表記を使い分けているのである。もっともここまで丹念に見ているドライバーは皆無と思われる。(注視したら事故だよね)

 

    
 

 歩いている国道15号線は高速横羽線の高架も重なり、当時との乖離はこの上ないほどの変貌振りと言えよう。高層ビル群が視界に入るようになり横浜駅が近づいてきたが、その手前で旧東海道は右折、宮前商店街への道をとる。(右写真)

 

    

  

   青木橋を渡り、上り坂になる。この坂こそは広重「五十三次」に描かれている坂(下図)である。当時はすぐ先が海岸であるが、今ではビルが建ち並んでしまい当時を偲ぶすべもない。

    
 

    さて、上記の坂を登ったときに「あれ?そう言えばこの辺に一里塚がなかったっけか?」と思い出してしまった。いや、思い出したことを幸運に思わねばなるまい。実は坂を登る手前にあった神社(金刀比羅宮)が日本橋から7里の一里塚跡だったのである。この様な道を間違えたり戻ったりするタイムロスはなんとも痛い。しかし旧街道を踏破された先達諸氏も実際は道中でいろいろ間違えたりしているようなので、それもいずれは思い出になるのかも知れない。(何事も良い方に考える♪)

 

    
 

   JRの横浜駅西口近くの高架橋を渡ると旧神奈川宿も終わり、しばらく静かな道を歩く。すると久しぶりに交通量の多い交差点(浅間下交差点)に到達するが、道が変則的に分岐している場所なので右の写真を参考にされたい。交差点の名称は赤矢印先にある浅間神社にちなんだものと思われる。 

   
 

    再び道は喧騒から離れたたたずまいとなるが、しばらく歩くと右写真の松原商店街へと入る。その直前、ちょうど写真の右手に分岐する道がかつての八王子街道(絹の道)で、この地点は芝生(しぼう)の追分と呼ばれている。“追分”と言うと追分節のような民謡を連想されるかも知れないが、本来の意味は「街道の分岐点」である。

   
 

   松原商店街は大変賑やかで、かつてここが旧東海道であることを知っている買物客がどれだけいるかは不明だが、活気がある商店街にかつての旧街道としての賑わいをかぶせて想うのも一興かも知れない。

  商店街が終わろうとする頃、街道は相模鉄道の天王町駅にさしかかる。写真正面の高架駅がそれだが、旧街道はアンダークロスしてさらに先へと続く。

  次は権太坂は最初の気合モードです。