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  update 2007. 7. 4

踏 破 日 2007/04/30
コースタイム 11:20〜13:00
歩 行キロ 5.3q
累 計キロ 36.6q
踏 破 率 7.4%

 
権太坂は最初の気合モード

相鉄天王町駅〜境木地蔵
 

(前の 神奈川一里塚は… へ戻る)

  

   相鉄天王町駅を出ると程ヶ谷(保土ヶ谷)宿となる。その入口付近に掛かっていた帷子橋は現存せず、かわりにレプリカがある。実際に橋の雰囲気はほとんど無いが、設置の心意気を良しとしよう!

   帷子橋の案内板をご覧いただけます。→【こちらをクリック】  

 

   道はJR保土ヶ谷駅へと向かうが、旧街道は駅の直前で右の小道をとる。ここ保土ヶ谷区は旧宿場町としての案内板に力を注いでおり、訪れる者にとっては有難い。

 

   

 

   保土ヶ谷駅手前の道から少し歩くと「ふとん池田屋」という蒲団店があるが、その店先になんと“東海道五十三次”タオルを発見した。もちろん店先の道が旧東海道であることを知った上でのアイデア商品で価格も手頃(300円)、しかも軽いのでお土産として文句なし! もぅ喜んで購入したことであった。

 

   

 

   旧街道は国道1号線への合流が近づいてきたが、その少し前に「金沢横町の道標」として石碑が4本建っている。この辺は金沢・浦賀方面への分岐点とされ、このような道標が作られたようである。左から2本目の石碑には俳人其爪(きそう)の句が彫られている。

程ヶ谷の  枝道曲がれ  梅の花

    
  

 さて遂に国道1号線と合流。日本橋を出てから初めて国道1号線沿いを歩くことになる。本陣跡を過ぎて少し歩くと日本橋から8里の一里塚跡であるが、最近になって案内板や塚のレプリカ(盛土にエノキを植樹)が作られた。

  ここは高校時代の昭和55年に訪れた際、肝心の一里塚がどこにあったのかわからず困り果てた懐かしの場所である。当時は案内板もレプリカも全く無く、ここから150Mほど離れた所にある湯殿山信仰の石碑が一里塚と関係あるのか否かとか、今から思えば噴飯モノの推理をしたものである。(苦笑)

    

 

    一里塚を後にして進むと進行方向右手へ渡る歩道橋があるので渡る。旧街道は樹源寺方面の道(写真)をとるので渡り頃である。

    
 

   樹源寺は日蓮宗の寺院で、手入れされた庭園が美しい。但し近年は心無い見物客でもいたのか、基本的に拝観謝絶となっているのが残念である。(昭和55年の来訪時には拝観できた。)

   さて神奈川宿を出て以来平坦な道を辿ってきたが、前方に丘陵地帯が見えてきた。そう、旧街道は「権太坂」に差し掛かる。

 

    
 

   そしてここが「権太坂」の登り口。ここからダラダラ坂が続くので少々シンドイが気合で乗り切りたい。

  この坂の名称については、むかし旅人が坂の名前を土地の人に聞いた際にその人が自分の名前を聞かれたと思い込み「ごんた」と答えたことに由来するらしい。 

   
   

   坂を上りきると道はT字路に出て、旧街道は右手の境木地蔵方面へと続く。ここで少し寄り道して左折、100Mほど行くと「投げ込み塚」という供養塔群がある。当時行き倒れになった旅人の骸を井戸に投げ込んだ跡と言われ、当時の旅の厳しさが窺い知れる。

  今回は天保二年の銘がある石仏にご登場頂こう。

   
 

   道を戻り境木地蔵へ。境木の「境」とは武蔵国と相模国との境を指し、これより相模国となるわけである。高校時代に来訪した時は簡素な地蔵堂があるだけだったが、近年境内が整備され案内板も設置された。

  この地蔵堂前の道路は国道1号線と環状2号線とを接続する役目があるため、道幅の割に交通量が多い。また東戸塚駅が開設(昭和55年)されて以降はマンション等も増えて、この付近がかなり開発された印象を受けた。  

  →次はわかりにくい品濃坂です。