update 2007. 7. 9
踏 破 日 | 2007/04/30 |
コースタイム | 15:30〜17:45 |
歩 行キロ | 7.8q |
累 計キロ | 48.8q |
踏 破 率 | 9.9% |
JR戸塚駅〜藤沢遊行寺 |
(前のわかりにくい品濃坂へ戻る)
かつての宿場町戸塚。見附や本陣跡には案内板や石碑等が設置されている。写真は道路右手にある「澤邊本陣跡」で、明治天皇が京から江戸へ御東幸の際に滞在した行在所(あんざいしょ)跡の碑が建っている。この明治天皇の行在所跡は旧東海道の至る所に残っている。 ところでこの石碑の後方には2階建ての家屋があり、横の表札を見ると「澤邊」とありビックリ。当時の子孫のかたが今なおこの地に住んでいるわけで、思わずうなってしまった。 |
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戸塚宿が終わる頃、大坂という名の上り坂となる。上り切ると横浜新道と合流、クルマの交通量が一気に増す。
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「お軽・勘平の碑」 人形浄瑠璃・歌舞伎で有名な「仮名手本忠臣蔵」の挿入話に登場する早野勘平とその妻お軽にちなんだ碑である。二人の恋路や駆落ちに思いをはせるにはクルマの騒音が興醒め甚だしいところ。
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片側2車線の道路をクルマが猛進するばかりの国道1号線、次の藤沢宿までは単調な道程を辛抱するしかないのだが、道の左手にある「原宿一里塚跡」を見落としてはなるまい。この日本橋から11里の一里塚跡には案内板があるものの、昭和48年に書かれたため少々文字がかすれて読みづらい部分がある。 →原宿一里塚跡の文面UPはクリック |
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さて旧東海道は国道1号線と再び別れ、横浜市(戸塚区)から藤沢市へ入る。なお余談だが旧東海道は自分の実家がある鎌倉市を通ってはいない。鎌倉市北部には関谷という地名があり、実はここの飛び地が戸塚区内(鉄砲宿付近)に存在する…が、まさにギリギリのところでこの飛び地にも旧東海道は通っていないのである。 道は遊行寺坂の長い下り坂にさしかかる。この付近には日本橋から12里の一里塚があったと言う。この坂は毎年正月には大学駅伝のランナーが颯爽と走り去る坂だが当方はもうヘタれ状態、ほとんど惰性で歩いている。嗚呼、早く遊行寺に着かんかぁ〜。 |
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そんなわけ(どんなわけ?)で遊行寺に着く。18時少し前だが日が長いので撮影ができる。 |
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寺の参道を出たところに当時の絵図が掲出されている。旧街道は右上から左へ抜ける道である。(右下へ行くのは江ノ島道)
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旧街道からは外れるが、遊行寺から南下すると程なく藤沢駅北口に着く。いや〜今日は歩いたな、小田急で新宿へ帰るとしよう。 |
→次は粋なるかな左富士です。