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  update 2007. 7. 15

踏 破 日 2007/05/21
コースタイム 9:00〜11:35
歩 行キロ 9.0q
累 計キロ 57.8q
踏 破 率 11.7%

 
粋なるかな左富士

藤沢遊行寺〜南湖左富士
 

(前の遊行寺坂でヘタるへ戻る)

 

    時は5月、好天である。再び藤沢駅に降り立ち、前回の終着点である遊行寺まで歩く。前回も掲載した本堂を撮り直すが、やはり朝の順光に映える写真の方がキレイに見える。

   さて、寺を出て正面の遊行寺橋(右下写真)を渡り右折、小田急線の藤沢本町駅方面への道が旧東海道である。戸塚から国道1号線を歩いていると藤沢橋がそれと思いがちだが実際は下の地図の通りで、少々注意したいところである。

    

   
 

    遊行寺橋を右折した先が当時の藤沢宿が栄えたあたりとされており、やがて蒔田(まいた)本陣跡の標識が建っている。

    藤沢市内の旧東海道の史跡については、右写真にもあるようなこげ茶色の柱に史跡名と解説が白字で記されている。もちろん無いよりは確かに便利なのだが、近年の他の自治体(旧宿場町がある自治体)は概して案内板や各種レプリカの設置に熱心である。設置時期にもよるのだろうが、この点につきもうひと押し欲しいなと歩きながら感じた。

 

     

  

    小田急線の藤沢本町駅が近づいてきたが、その手前を右折する小径をとる。すると路地の奥に「伝・源義経首洗井戸」がある。奥州の藤原泰衡に討たれた義経の首が鎌倉に送り届けられた際、首実検の後にこの地に埋められたとの言い伝えがある。

  <吾妻鏡/文治五(1189)年六月十三日 >
  
泰衡が使者新田冠者高平、豫州(義経)の首を腰越の浦に持参し、事の由を言上す。…… 観る者皆雙涙を拭い、両衫を濕すと云々。

 

    

 

   旧藤沢宿も終わりに近づき、小田急線を跨ぐ伊勢山橋を渡る。藤沢本町駅は橋からも写真のように見え、近いところにあるのがわかる。

    

 

    伊勢山橋を過ぎると道は史跡らしいものもなく単調な道となる。右の写真は(ライバル校?の)湘南高校前のバス停にて。

    

  

    道は引地川を渡る前に緩やかに左へとカーブを描くが、ここは例によりちょっと注意したい地点。すなわち旧東海道は右方の目立たない道を進むのである。ほどなく引地橋手前で再合流して引地川を渡ることになるが、こだわりを持ちたいところではある。

    

 

    養命寺・メルシャン工場を右手に見ながら、道は遊行寺坂手前で別れた国道1号線に再合流する地点に近づいて来た。

 

    

 

    そして合流、片側2車線となり急に騒々しくなる。旧東海道は1号線をそのまま歩けば良いのだが、合流地点ですぐ右手に分岐する道があり、これが「大山道」である。江戸時代には大山(現・丹沢国定公園にある山)信仰が盛んで、ここ東海道からも参詣のための道が分岐していたわけである。

  写真では少々見づらいが、分岐点に不動明王の石像が置かれ、これは大山前不動尊と呼ばれている。

    
 

   辻堂一里塚。日本橋から13里目の一里塚跡である。

   この辺の歩道には松並木が続いている。

    
 

   茅ヶ崎駅が近づいてきた。JR相模線が道路をアンダークロスしている。

    

 

      左折すると茅ヶ崎駅へ向かう道との交差点、この付近が茅ケ崎一里塚跡である。(日本橋から14里)

   

   →茅ケ崎一里塚案内板のアップはこちら

    

 

    茅ケ崎一里塚を過ぎてひたすら国道1号線をなぞるように歩き続けると、鳥井戸橋という橋にさしかかる。実はこの地点こそ、下り東海道では駿河国吉原とここの2ヵ所しかない“左富士”の地点なのである。“左富士”とは通常の街道下りでは進行方向右手に富士山が見えるところ、道の方角の関係で特に左手に見える富士山のことを指す。

   ところで写真の富士山、見えますかね?  わずかに山頂の雪が見えますヨ!(断じて雲ではありません) こりゃ冬季の午前中に撮り直したほうが良いのかも…

 

     

 

 

 

 

 

 
 

  →次は植樹の松に期待です。