update 2007. 9. 26
踏 破 日 | 2007/09/15 |
コースタイム | 11:15〜13:45 |
歩 行キロ | 7.6q |
累 計キロ | 65.4q |
踏 破 率 | 13.3% |
南湖左富士〜JR大磯駅 |
(前の粋なるかな左富士へ戻る)
この壮大なるプロジェクト、前回の踏破からなんと4ヶ月近くもブランクを生じてしまった。もちろんそれは炎天下での歩行回避が理由だったのだが、果たして秋の涼風は吹いてくれるのだろうか…? 前回はJR駅で言うと茅ケ崎〜平塚のやや茅ケ崎寄り(南湖左富士)で終わったので駅からバスで現地まで行こうと思っていたが、まぁいいやと予定変更で歩いてみる。ところがこれが大正解、連休初日とあって国道1号線の下り車線は大変な渋滞で、バスとさほどスピードに差がなかったようだ。 |
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国道1号線が新湘南バイパスの高架橋とクロスする手前に「旧相模川橋脚跡(国史跡)」がある。鎌倉時代にはこの脇を流れる小出川がかつての相模川で、そこに架かっていた橋脚が近年まで保存されていた。しかし水面から突き出す形であったため腐食が進み現在は工事のため閉鎖中である。 かつて源頼朝がこの橋の落慶式の帰途に落馬し、それが原因で亡くなったという説があるが、「吾妻鏡」はこの点につき黙して語らない。当HPの本旨から外れるので多くは語らないが、歴史ファンの興味をひく旧跡と言える。 |
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さて現在の相模川に近づいてきた。この川の手前で茅ケ崎市から平塚市になる。先程の旧相模川橋脚跡から1キロほど離れており、800年の間に川の氾濫等で大きく流れが変わったことを実感する。 ちなみに江戸時代の相模川には橋脚がなく、舟渡しだったようである
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橋を渡り始めるとJRの貨物列車がドドドとやって来た。
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これは相模川を渡るほぼ中間地点にある「キロポスト」。日本橋から62qとあるが、まだまだ先は長い…。おそらくこの数字が300や400q台に乗ったとき、ある種の感慨が湧くのであろうなぁ〜。(いつのことやら) |
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橋を渡り終えると程なく国道1号線は右側へと大きくそれて行く。平塚駅前の商店街を通る道が旧東海道なので、ここは間違えずに直進しよう。 |
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そして上記写真の分岐点付近に「馬入の一里塚」跡の看板が立っている。ここは日本橋から15里目の一里塚跡である。 何度も書いてしまうがこの看板も近年(平成16年)の設置であり、自分の高校時代に有ってくれたらなぁと愚痴の一つも出てしまう。
「馬入の一里塚」跡の看板アップはこちら
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旧街道はクルマ・バスの交通量が増えてきた。進行方向左手を見るとJR平塚駅が見える。学生の頃(昭和62年だったかな?)、この駅ビルが大改装工事を行っており、アルバイトで2ヵ月近く入って汗まみれになって働いたものである。(全くの余談)
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平塚の賑やかな商店街を歩き、やや賑やかさが薄らいできた付近で右写真の「平塚宿江戸見附」跡に出くわす。ここの見附が江戸側の見附であることからもわかるように、当時の平塚宿は今の平塚の中心街よりも大磯寄りにあったのである。
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平塚市民センター前の歩道橋から大磯方面を撮ってみる。ボコッとした高麗山が良く見える。安藤広重の五十三次にも描かれている山であるが、当時から変わらないのはこの山ぐらい? |
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さて平塚の中心街からはすっかり外れてしまったが、この付近が当時の平塚宿の中心のようで、本陣・脇本陣跡、高札場跡に案内板が設置されている。写真は和菓子屋と(一軒おいて)日本茶屋が並んでいるところで、当時からの創業か否かはともかく旧街道らしい雰囲気が嬉しい。 |
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さて先程いったん別れた国道1号線との合流が近づいてきた。旧東海道はその直前を右矢印のように脇道の方へと行く。この道も程なく国道1号線と合流してしまうのだが、道の広さが旧街道らしい雰囲気を残している。 |
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国道1号線と合流して交通量が増えたが、道の脇にこのような民家が残っていたりして道の歴史を感じさせる。 実はこの民家、旧東海道をHP等でUPしている先達諸氏も必ずと言って良いほど写真を載せている民家で、その筋にとってはある種の“名物民家”なのかも知れない。
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大磯方面へ向かうクルマは相変わらず切れない様相だが、旧東海道は右の道をとる。今度は1号線としばらく別れられるので心なしかホッとする。 |
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殆どクルマの来ない道をのんびり歩いていると右手に一里塚跡の看板がある。この道は緩やかな上り坂となっており、その坂の名を採って「化粧坂一里塚」(日本橋から16里)と言われている。 |
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道は東海道本線を地下道でくぐり、再び交通量の殆どない道が続く。この道は写真を見ておわかりの通り並木が植えられているのだが、良く見ると苗木を植えてある部分も少なからずあり、おそらくこの道が旧東海道であることを承知の上での植樹と思われる。もう30〜40年も経てば、今の写真よりも繁茂した旧街道らしい並木道になるかも知れない。 やがて国道1号線と再合流した道は大磯にさしかかる。 |
→次は悲喜こもごもの鴫立庵です。