update 2007. 9. 30
踏 破 日 | 2007/09/16 |
コースタイム | 10:30〜14:20 |
歩 行キロ | 9.9q |
累 計キロ | 75.3q |
踏 破 率 | 15.3% |
JR大磯駅〜JR国府津駅 |
(前の植樹の松に期待へ戻る)
昨日に続き今日も好天である。 いざ大磯駅に降り立ち、目標は小田原である。今回のルートはほぼ国道1号線沿いのため交通量の多さには参るものの、時折脇道にそれる部分(下図参照)もあるので分岐点には注意して歩いてみたい。 |
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大磯〜二ノ宮付近の旧東海道概念図 |
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大磯町内の史跡案内板は左図のようなカラーのイラスト入りで、素人目にも興味をそそる意欲作である。看板によっては雨ざらしによる剥落もあるが、自治体の意気込みが伝わってくる内容である。 ここは尾上本陣跡にある看板である。→ (拡大図はこちら) |
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しばらく歩くと国道1号線はゆるやかに右へのカーブとなるが、当時の東海道は右上のカラーイラストにもあるように右に折れるような道筋であり、こだわる向きには写真赤矢印の道をとりたい。 |
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再び国道1号線に合流し、しばらく歩くと道の左手に「鴫立庵」がある。平安時代末期の歌人・西行法師が新古今和歌集で、 心なき身にも哀れは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ と詠んだ和歌にちなんで江戸時代に庵が結ばれ、現在に至っている。 写真にもあるように門の手前に石橋があり、小さな川(沢)が流れていて一見風流なのだが、現代では生活廃水の臭いがして興醒めなこと甚だしい。 |
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さて入場料百円を払って敷地内に入る。受付のかたは大変丁寧なかたで、当方も気を取り直す。右の小さなお堂には西行の木像があり、小窓から覗くと玉眼の西行像がこちらを見ておりギョッとする。さらに裏手の敷地には数多くの石碑・石仏群があるので、これも見てみよう。 |
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庵の裏手にある石碑・石仏群は実に多様な種類で、じっくりと見たいところ…なのだが、驚くほど蚊が多い! 自分は写真を3枚撮ったのだが、撮影に静止した時に吸われたのかちゃんと3箇所蚊にやられてしまった。もっとも晩秋〜冬季にかけてであれば今回のようなことはなく、じっくり鑑賞できるのかもしれない。(写真は大日如来) |
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いろいろあった鴫立庵を後にして西進する。大磯宿のエリアを出ると史跡らしい場所はしばらくないが、やがて松並木にさしかかる。国道1号線は交通量が多いから枯れないかな?などとつい心配してしまう。 歩道橋には「小田原 18km」の表示がある。今日も好天のためたいへん暑いのだが、ここは頑張りどころである。 |
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松並木が終わりしばらく歩くと切通し状の道となる。ここで右手(大磯城山公園)へ分岐するのが旧東海道である。余談だが城山公園には休憩設備もあるので一休みするのも良いだろう。
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分岐後しばらくは国道1号線を離れるので、それまで耳障りであったクルマの音が途切れホッとする。右写真にもあるように交通量は殆どないが道幅は旧街道らしく広い道である。連休の国道1号線はかなりの混雑だが、この道は抜け道マップに取り上げられていないのだろうか?
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やがて左手から国道1号線が近づいてくるが、旧道はすぐには合流せずにしばらく平行して続く。すると国府本郷一里塚跡の看板が左手に現れる。ここは日本橋から17里の地点である。
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合流後は影もなく照りつける道を延々と歩く。(ここでかなり日焼けしたような感じ) 二宮駅で駅そばを食べてさぁ午後の歩行開始である。連休とあって相変わらずクルマの渋滞が凄いが、途中で右へ分岐する道を落としてはならない。ここが再び脇道となるわけである。 |
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この脇道の右手に相模新西国三十三観音霊場第一番札所の寺があるが、地図や書物を見ると「等覚院」とあったり「藤巻寺」とあったりでどちらが正しい呼称なのか来訪前の調査で少々戸惑った寺である。写真左の石柱にあるように「真言宗梅沢山藤巻寺等覚院」が正式名称であり、要はどちらでも正解なのであった。 |
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またまた合流。しかし日本橋から75kmのキロポストが見えたら今度は左側の脇道へ分岐しなければならない。道は下りとなるが、ここが「押切坂」である。 |
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この押切坂分岐点付近には一里塚があり、日本橋から18里の地点である。なお左脇の建物(車庫?)には近年まで無粋な落書きがあって旧街道探索の先達諸氏も撮影の際に嘆いておられたようであるが、現在は写真のように殆ど消し落とされており撮影に支障はない。自治体あたりが気にしたのかな?
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押切坂を下ると海が見えてきた。西湘バイパスは過日の台風による一部路盤崩落のせいか交通量が少なかった。
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→次は夕刻の曇天にホッです。