トップページへ          平成の旧東海道を歩くへ  

  update 2007. 10. 8

踏 破 日 2007/10/7
コースタイム 9:10〜10:40
歩 行キロ 6.5q
累 計キロ 87.5q
踏 破 率 17.8%

  
脇道の集落に風情あり

小田原古清水旅館〜三枚橋
 

(前の夕刻の曇天にホッへ戻る)

  

    早朝の新宿から小田急線に乗り、小田原駅に降り立つ。秋の行楽シーズンとあってザックを背負ったハイカーも多く見受けられるが、この中で徒歩で箱根にチャレンジする人は果たしてどれぐらいいるのかな…?

   駅から少し歩き、前回の古清水旅館まで戻ってスタート。すると程なく右のような看板がある。ここ小田原市も他の自治体の例に漏れず小田原宿について詳細な案内板を随所に立てていて有り難い。

   【リンク】古地図の拡大図現代図の拡大図   

   
 

   さて国道1号線を西へ歩くと、箱根の各方面行きのバスが次々と自分を追い越していく。本日は何台のバスに抜かれるのだろう? この付近はかつて本陣が何軒も連なった宿場の中心である。  

    写真遠くには二子山が見えるが、沿道を良く見ると電柱・電線が全く見当たらない。小田原ではメインストリートの景観を良くするためにこれらを全部地下に埋めており、スッキリした眺めを味わえるのはサスガ小田原市と申し上げておく。

   
    

   旧宿場町のエリアが終わると東海道本線・箱根登山鉄道と、少し置いて東海道山陽新幹線の高架をくぐる。写真は東海道山陽新幹線の高架だが、旧街道はこの直前で右手の道をとる。

   

 

   すると例により道は広いが交通量の少ないのんびりとした道となる。(道の中央で写真が撮れるのが証拠?)  ここは板橋の集落で、生活臭ただよう道路には良く見ると古い木造や土蔵造りの建物もあり、歴史ある道であることを感じさせる。  

   正面奥に見える寺院風の大きな屋根は板橋地蔵尊である。

     
 

 板橋地蔵尊は古くから西湘地方に信仰されているお地蔵様で、丈六の地蔵尊が堂内に祭られている。大きなお堂が立派であるが来訪時は参詣人もなくひっそりとしていた。ここで賽銭を入れて道中安全を祈願する。

     

 

   板橋地蔵尊を過ぎると旧街道はいったん国道1号線と合流する。箱根登山鉄道も並行するように走っているが、カーブが多いために乗り入れのロマンスカーも徐行に近いスピードでゆっくり走り去っていく。

     

 

   国道1号線はさすがに交通量が多いが、うまくクルマの列が途切れた際に1枚撮る。正面に二子山がよく見える。

     
 

    箱根登山鉄道の風祭駅の少し手前(写真の位置)で踏切を渡り、再び脇道へ。道路上に大きな影が落ちているのはこの真上を小田原厚木道路が通っているためである。

    このアングルについて「撮影上鉄道路線が被写体に入る場合には、極力列車の走行シーンを収めたうえで掲載」するところ、肝心の列車が無い!とお叱りを受けそうだが、赤矢印が踏切を渡る形になるためご容赦の程を。

   
 

   風祭の集落は先の板橋の集落よりもこじんまりとした印象を受ける。それもそのはずで進行方向右手には山が迫っており、集落も旧街道も山肌に沿って続いている。やがて右手に道祖神を示す柱が立っているが、同時にここが風祭一里塚跡でもある。(日本橋から21里)

   ところでこの集落を歩いていて面白かったのは、ある苗字の家がズラ〜と延々続いていること。時代を遡ればおそらくルーツは同じなのだろうが、郵便局や宅配便の配達は大変だろうな〜。

   

 

   風祭と次の入生田(いりうだ)の集落とのあいだにはこんな道もあり、旧街道らしい風情も感じられる。

   
    

   秋らしく道端には曼珠沙華が色を添えている。江戸時代の当時もやはりここにあって旅人の心を癒したのだろうか?

   

  

   入生田の集落を通り抜ける。のんびりした雰囲気がなんとも良く、歩いていても楽しい。

   前方の山々が迫って来て、「天嶮箱根近し」を実感させる。

 

   

 

   再び国道1号線と合流する。この先歩道が無くなりそうに見えるが、正面の階段上が歩道である。箱根登山鉄道を間近に見ながら歩くが、今ではこの区間(箱根湯本以南)でオリジナルの箱根登山電車の営業運転はなくなり、普通列車も小田急の車両が肩代わりで運行しており少々残念。(写真はLSEによる「はこね」号)

 

   
  

    道は三たび国道1号線から右へ分岐する。今度の分岐はあまり長くなく、程なく再合流する。そこから少し歩くといよいよ三枚橋(箱根湯本)にさしかかり、ここが箱根への玄関口となる。

 

  →次は石畳道で必死に当時を偲ぶです。