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  update 2007. 10. 8

踏 破 日 2007/10/7
コースタイム 10:40〜12:40
歩 行キロ 5.0q
累 計キロ 92.5q
踏 破 率 18.8%

 
石畳道で必死に当時を偲ぶ

三枚橋〜畑宿一里塚
 

(前の脇道の集落に風情ありへ戻る)

    

   国道1号線と別れて早川を渡る。この橋が三枚橋で、箱根旧街道への入口の役割を果たしている。旧街道歩きは面白そうだが全部歩くのはちょっと…という向きにはこの「三枚橋〜芦ノ湖」が手頃なコースとしてお勧めである。

   (写真は三枚橋から見た箱根湯本駅)

   

   
 

    道は早速上り坂となるが、少し上ると北条五代の菩提寺、早雲寺に着く。時間のある向きには見学してみるのも良いだろう。またベンチもあるので休憩も可能である。

    ところで早雲寺の手前にはコンビニエンスストアが一軒あるのだが、ここを過ぎると芦ノ湖(元箱根)まで一切コンビニはない。飲料・食糧の調達を忘れずにしておきたいところである。

   
    

    さらに約500メートルで正眼寺に着く。鎌倉時代からの古刹だが、ここで目につくのが大きい石造のお地蔵さんである。近づいてみると顔の大きさに驚かされるが、長いこと旅人たちを見てきたのであろう、背中には苔が生えていてなかなかの風格である。

   

 

   正眼寺を後にさらに上る。道は舗装されているが道幅は狭く、歩道のスペースは殆どない。その割にはクルマが多く、時には路線バスもやってくるので歩行には注意が必要である。

   やがて道の左手に道祖神を見つけた。男女同体という珍しい道祖神である。

     
 

 上の道祖神から少し離れたところ、今度は道の右手に一里塚跡がある。ここは「湯本茶屋一里塚」(日本橋から22里)である。

     

 

   この付近の旅館は簡易な温泉旅館風な宿が多く、鄙びた雰囲気が味わえる。その旅館の並びが途切れるところ、今回最初の石畳道が分岐するので右へ下ってみよう。

     

 

   この石畳道は比較的歩きやすい。しかし大規模ホテルの構築物が近くまで迫っており、景観の点ではイマイチかな…。

     
 

   再び舗装道と合流し、歩道なき道をクルマに注意しながら進んで行く。今日は休日のせいか途中の天山温泉や新興宗教施設へのクルマが多く往来しており、歩いていても落ち着かない。もっともクルマが途切れた時は昼なお暗い道(葛原坂付近)で、昔なら追剥ぎが出没してもおかしくないような山中の道ではある。

   やがて左手に鎖雲寺(さうんじ)が現れる。普段は無住の寺だが、「箱根霊験記・躄の仇討ち」で有名な躄勝五郎とその妻初花の墓がある。

   
 

   鎖雲寺を過ぎると再び上り坂となる。この付近は女転坂(おんなころばしざか)と言われる坂で、むかし旅の女性が急坂のために落馬して亡くなったという故事にちなむそうである。

   当時の女転坂は今は無く、舗装道がその近くをカーブを描いて上っていく。高校時代、部長(顧問)の先生がこの付近を頑張って上ろうとし、道なき道を草分けてチャレンジしたが失敗したという懐かしの地(?)でもある。

   

 

   ここは割石坂。右手に自然探勝歩道があり、その一部は当時の石畳道を流用しているので是非通ってみたいところである。実際に歩いてみると当時の石畳と後補の石畳の境目がキチンと立札で表示されているのが面白い。

   

   
  

     この部分は江戸時代の石畳で、両脇に樹木が茂って旧街道らしい雰囲気が十分に味わえる。もっとも江戸期の石畳部分は後補の部分と比べて石の形状がいびつなので、実際の歩行には注意したい。

   昭和55年に初めて訪れた時はこの付近で昼時になったため、道脇の岩に腰掛けて持参の弁当を食ったのが思い出される。

   

  

   いったん舗装道と合流するが程なく今度は左へ下る石畳道をとると、清流を跨ぐ木の橋を渡る。

   それにしても右上・右中・右下の写真を見ると、以前に歩いた第一京浜や高速横羽線の喧騒は何だったのかと思わずにいられない。

 

   

  

   さて畑宿を目指すには再び上らなくてはならず、その坂がこの大澤坂の石畳道である。近年の杉の伐採で道が明るくなった感じであるが、石畳に苔が繁茂していて滑りやすい。しかも連続の上り石畳道とあってけっこうシンドイ行程である。

   畑宿はまだかな〜と、息が上がり足取りも心なしか重くなってきた。とにかく石畳道は歩きにくい。しかし昔の人の草鞋よりはスニーカーの方が楽なはずだと自分に言い聞かせながら歩く。表題の「石畳道で必死に当時を偲ぶ」は、実はこんな心情を例えたものである。

 

   
 

   ようやく舗装道に合流、畑宿の集落である。ここはかつて「間の宿(あいのしゅく)」であった。間の宿とは宿場町間の距離が長い場合に非公式に設置された宿場である。小田原〜箱根は距離があるうえに隘路とあって相応の需要があったものと推察される。現在は小振りな集落ながら、この地区特産の寄木細工を扱う店が目につく。

   畑宿には一里塚跡の手前に休憩所があり、飲料の補給等はここで済ませたい。自分は飲料補給の他にも靴に入った小石を除去したり足の土踏まずを入念にマッサージするなど、十分に休憩を取った。(その理由は次に続く)

  →次は芦ノ湖が見えた!です。