update 2007. 10. 8
踏 破 日 | 2007/10/7 |
コースタイム | 12:40〜14:35 |
歩 行キロ | 4.0q |
累 計キロ | 96.5q |
踏 破 率 | 19.6% |
畑宿一里塚〜元箱根 |
(前の石畳道で必死に当時を偲ぶへ戻る)
畑宿の休憩所を立ち、まずは畑宿一里塚を見学しよう。この一里塚は日本橋から23里目のものであるが、近年の整備により極めて当時の原型に近い形に整えられた。つまり道の両脇に盛土を行い、そのてっぺんに樹木を植えるという形式である。
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これは街道の両脇にある一里塚のうち、左側にある復元一里塚である。「塚」という名称からくるイメージは普通なら簡素な石塔ぐらいのものだが、本物の一里塚は決してそんなものではなかったことが良くわかる。
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一里塚を過ぎると昼なお暗い石畳の上り坂となる。西海子坂(さいかちざか)と呼ばれるこの坂の石畳は当時のものが良く保存されていると言われている。しかし当時の石畳は形状が不規則で歩きにくいことこの上なし。もっとも江戸時代にこの石畳が敷かれる前は竹を敷いていたそうだが、竹では歩行による損傷も激しい理由から石畳になったそうである。
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西海子坂が終わると舗装道のつづら折の坂道となる。当時はさらに橿木坂・猿滑坂と続くのだが、その頃の道は今や崩落等により現存しない。よって当時の坂に極力近いルートを取るべく設置されたのが右の階段、これが延々と続くのである。ここがスタートならともかく、麓から幾多の坂を上り続けてきた身にとって、ここから更なる階段攻撃はコタえる。 階段はやがて自然探勝歩道となり、少し坂の激しさも和らぐ感じである。しばらく歩くと左手に小田原市街を一望できる場所があり、今朝はあそこから来たのだなぁと思ってしまった。 |
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またまた舗装道と合流。しばらく行くと旧街道資料館(旧・甘酒茶屋)の建物が見えてくる。ここはクルマで来訪する観光客も多く、気の向くままに休憩を取っている。 旧街道資料館は有料展示がたったの70円(平成19年10月現在)なので、時間があれば極力見ておきたい。江戸時代後期の古文書などは比較的読みやすく、興味をそそられる。 |
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さあ、あと一息だ! 旧街道資料館の裏手に旧街道らしい雰囲気の山道があるのでこれを辿ると、やがて右写真のような昼なお暗い石畳の上り坂にさしかかる。ここは白水坂と呼ばれ、またしても延々たる上り石畳道となっている。
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白水坂は途中のサミットで終わり、下りは権現坂となる。下りだから楽な歩行と思いきやそこは石畳道、滑りやすく油断は禁物である。木漏れ日が石畳を照らす様子は良い景観なのだが、こちらはもう疲れてヘタレ状態、芦ノ湖はまだか?なんてことで頭の中はいっぱいであった。 |
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まるで森の中をさまようような感覚が続いていたが、ようやく前方の視界が開けてきた。写真では少々わかりにくいが正面の木々が繁茂する上のあたりにライトブルーの湖面が見えた。芦ノ湖だ! ここはかなり急な下り坂、足を取られぬ様に慎重に歩いていたらクルマの走行音がかなり近づいてきた。元箱根到着である。 |
→次は関所越え、さらば相模國です。