update 2007. 10. 23
踏 破 日 | 2007/10/21 |
コースタイム | 9:20〜10:50 |
歩 行キロ | 2.5q |
累 計キロ | 99.0q |
踏 破 率 | 20.1% |
元箱根〜箱根峠 |
(前の芦ノ湖が見えた!へ戻る)
早朝にJR・小田急電鉄・箱根登山鉄道・伊豆箱根バスを乗り継ぎ、元箱根にやって来た。前回はここへの下り道(権現坂)でフィルム切れとなったので、今回はここからの紹介となる。 ここで“元”箱根の地名のいわれについて簡単に触れておく。江戸時代の初めまではここが集落としての箱根の中心地だったのだが、関所を設置するにあたり箱根宿を関所の西側(箱根峠寄り)に置いたため、以降は東側のこの地を元箱根と呼ぶようになったのである。 よって古くからある箱根神社などはここから近い…が、今日は先を急がないと日のあるうちに沼津まで着けないのでパス。(残念) |
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寄り道はしないと言ったばかりだが、せっかくなので芦ノ湖畔には出てみよう。本日は快晴で、山頂右手がわずかに雪化粧の富士山も見える。箱根神社の赤い鳥居も湖畔のアクセントとして良い点景となっている。
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街道に戻ると程なく一里塚跡にさしかかる。杉の大木脇にあってあまり目立たないので見過ごさないようにしたいところ。ここは葭原久保一里塚跡、日本橋から24里の地点である。
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一里塚跡を過ぎると車道から別れ、砂利道の両側に本格的な杉並木が続く。すぐ右脇には車道が並行して走っているのだが、木漏れ日が注ぐ中を歩いていると往時の雰囲気が十分に味わえる。
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杉並木が終わり車道を横断するといよいよ「箱根関所」である。現在の関所は近年の復元工事により今春(平成19年春)に全面公開となった史跡である。
入口の御制札場に関所の厳しさが箇条書きになっている。ちなみに初めの三つにはこう書かれている。 |
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関所を語る際に「入鉄砲に出女」はキーワードとして良く知られているが、ここ箱根関所では「出女」について厳しく取調べを行なったようで、「入鉄砲」は同じ東海道でも浜名湖の先にある新居関所が行なっていたようである。(自分はいつ行けるのだろうか…) ところでこの箱根関所は昭和55年以来の来訪だが、当時のものは取り壊されて跡形もない。しかし今の関所は近年発見の古文書等を基に当時の様子を極力復元した内容とのことで、この点を良しとしたい。 |
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関所には遠見番所という高台の見張り小屋があり、旅人が舟で芦ノ湖を通過しないように役人が見張っていたと言われる。撮影の場所はまさにその場所で、関所の全貌はもちろん芦ノ湖も広く望める眺望の地である。(写真左手が三島方面、右手が小田原方面である) 箱根関所は大人500円、少し離れた「箱根関所資料館」との共通入場券である。…が、先を急ぐので資料館は今回パス。(涙) |
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関所を出て箱根峠へと向かう。写真は箱根町バス停付近で、おみやげ屋や飲食店、バスや遊覧船のターミナルがひしめき賑わっている。かつての箱根宿の中心がこの付近で、活気ある様子は今も昔も変わらないかもしれない。
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再び眼前に山が迫り、箱根峠への登りが近いことを実感する。国道1号線が右へ曲がろうとするその手前の道が旧街道なので、間違えずに曲がりたい。もっともちゃんと旧街道とわかる案内が取り付けられている。そこは…
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なんと横断歩道部分に道の案内を表示した石が埋められており、これを見ればまず間違えないだろう。上の写真に入れた赤矢印の右側くびれ部分に埋まっており、見つけたときは思わずおぉ〜と唸った。それにしても三島まではアップダウンの坂が14.5キロも続くわけで、この数字は見ないほうが良かったかも知れない。
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旧街道は国道1号線から分かれ、忘れ去られたかのような静かな舗装道がしばらく続いたが、その舗装道が切れると石畳の上り坂「向坂」となる。坂の入口には石仏が並んでおり、昔の旅人も手を合わせたものと思われる。 ここからは石畳の上り坂なので歩行のペースがガクンと落ちる。更に倒木が放置されていたりと、なんだか大変になってきた。 |
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向坂から国道1号線をアンダークロスすると更に赤石坂が続く。この坂は最後が上り階段となっているので、午前中の気合で乗り切りたい。 階段を上り切ると国道1号線と合流、箱根峠は左手の道をとるが、右手を少し行くと「道の駅・箱根峠」があるので休憩にはお手頃である。 |
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箱根峠への国道1号線はクルマとバイクがひっきりなしに行き交い、歩行者は皆無と言って良い。それもそのはず地理的にも行政的にも辺境の地であり、そもそも人家がないのだから。 登りに登って周囲に高い山がほとんどなくなった。いよいよ標高846mの箱根峠、相模國(神奈川県)から伊豆國(静岡県)に入るとともに、ついに全行程の20%到達である。 |
→次は笹と杉と石畳とです。