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  update 2007. 10. 27

踏 破 日 2007/10/21
コースタイム 10:50〜12:40
歩 行キロ 3.5q
累 計キロ 102.5q
踏 破 率 20.8%

 
笹と杉と石畳と

箱根峠〜山中城址
 

(前の関所越え、さらば相模國へ戻る)

 

   石段を踏みしめ、ようやく箱根峠に着いた。さてここからは三島までの下り坂である。単に下り坂といっても、それぞれに個性が感じられる坂が続くので順にレポートしてみよう。

 

 

   (↑この写真のみ進行方向と逆方向のアングル)
 

   箱根峠の交差点(右写真)を過ぎるとまたも道標(右下写真)が石畳を模した歩道に埋め込まれている。今回のコース、箱根〜三島の道標・案内板は大変充実しており旅人思いと言える。

   
    

   静岡県側に入ると右手にパーキングエリアがあり、ライダー達が休憩をとっている。さて旧街道はどの道?と思いかけたがすぐに右のような案内が立っているので問題ない。むしろ整備され過ぎているかのようなゼイタクな疑問さえ頭をよぎってしまった。

 

    

 

   国道1号線は左手に曲がっていくが、その直前を右へ別れる舗装道をとる。この道自体は何の変哲もない道なのだが、少し歩くと左手に分け入る「箱根旧街道」の案内板がある。ここから旧街道らしい道が続き、往時の雰囲気が十分に味わえる。

 

     

 

   まずは甲石坂、写真のように両脇から伸びる笹のトンネルが延々と続いている。当時からこのような感じだったのかは不明だが、炎天下などでは旅人を癒してくれたに違いない。

    

 

   甲石坂が終わると一旦国道1号線に出るが、接待茶屋バス停付近から再び旧街道は右手に入る。ここも看板類が立っているので分岐はわかりやすい。この辺に山中新田一里塚があるはずだが、もう少し先かな…と見当をつけて道を進める。   

   すると右の「かぶと石」が現れる。これは豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めに東進した際、脱いだ兜をこの石に置いたという言い伝えがある。それにしても大きい石だな〜。

   

 

   「かぶと石」付近の道はこんな感じでハイキングコースの雰囲気であるが、前回の箱根湯本〜元箱根の時と異なりハイカーの姿を殆ど見かけない。三島側は知名度が低いのだろうか?

   さて例の一里塚が見当たらない。さすがに見落としたような気がして100メートルほど戻り国道一号線から分岐した地点まで戻ると、分岐点の後方に草木に埋もれながらも盛土らしい形状を発見、なんとこれが山中新田一里塚(日本橋から26里)であった。これで神奈川・戸塚・小田原小八幡に続き早くも4箇所目の“一里塚見落とし戻り”をやってしまった。タイムロスが厳しくのしかかる…。

      

      
 

   先の甲石から先は石原坂を下り、国道1号線に合流しそうで今度は合流せずに大枯木坂へと分け入る。この坂は上りの部分(写真)があったりするものの、全体として道幅もある上に杉並木・石畳とも整備されており、次の小枯木坂と共に旧街道散策にはお勧めの道である。

   旧街道の雰囲気いっぱい大枯木坂であるが、その終わりの部分は突如として民家の畑の前に出てしまう。このミスマッチ感覚も案外面白いかもしれない。

   

       
 

   国道一号線とクロスして今度は小枯木坂。石畳のデコボコも少なく歩きやすい。旧街道らしい雰囲気は満点で、向う側から駕籠を担ぐ人足がやって来そうな雰囲気すら感じさせる道である。

   

       
 

   この付近の旧街道は国道1号線を縫うように続いているが、山中城址の少し手前でいったん合流する。写真は合流地点にあるお蕎麦屋さんで、旧街道散策のお昼時にちょうど良いかもしれない。

 

       
 

   久しぶりに国道1号線のキロポスト発見、日本橋から108kmの地点である。この付近の旧街道は事実上山中城址の中を突っ切る形となっている。

      
 

   ここが「山中城址」である。山中城は後北条氏が豊臣秀吉の小田原攻めを防ぐべくその直前に築いた城であり、現存する建築物はないものの曲輪や堀の形状が良く残されていてその筋のファンには大変魅力的な旧跡となっている…が、何度も言うように本日はタイトなタイムスケジュール、道草していては沼津に日着できないのでここも泣く泣くパス。まぁ平成2年(もうだいぶ前になる)に一度来訪しているのでいいや、と自分を納得させたことであった。

   →次は下り坂が苦しいとは…です。