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  update 2007. 10. 28

踏 破 日 2007/10/21
コースタイム 12:40〜15:15
歩 行キロ 9.0q
累 計キロ 111.5q
踏 破 率 22.7%

 
下り坂が苦しいとは…

山中城址〜三嶋大社
 

(前の笹と杉と石畳とへ戻る)

 

   山中城址を後に再び旧道を下る。途中の富士見平に芭蕉の「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」の句碑がある。天候によってはこの付近からの富士山の姿は絶景と言われるが、芭蕉は霧で見えない富士山に想いを巡らしたものと思われる。

   今回の撮影は午後となってしまったため綺麗な富士山を撮ることができなかったものの、富士山の撮影で静岡県内を歩いていることを実感する。

 

   (↑105mmレンズで撮影)
 

   国道1号線を渡ると上長坂の下りである。道の両側に木々が茂る石畳の道は概ねこの坂までである。

   
    

   上長坂もそろそろ終わりになるころ、視界が開けて畑が広がる。ここは江戸時代から畑だったのだろうか?

   さてこの付近には一里塚があるはず、今度は見逃さないぞっ!

 

 

 

    

 

   幸い今回の一里塚は畑の反対側、左手の茂みに見つけることができた。ただし整備は良いとは言えず、盛土と石碑からやっとそれとわかる状況である。ここは笹原一里塚、日本橋から27里である。

 

     

 

   今回のルートは国道1号線と絡むように続くため何回1号線を渡ったことだろう、渡った先が下長坂(別名こわめし坂)の始まりである。こわめしとは強飯(おこわ)のことで、旅人に背負われていた米が、余りの長坂・急坂のため汗と熱で強飯になってしまったという故事にちなむそうである。

   写真で見ると普通の道で急坂には見えないが、先の方で視界から道が消えるあたりから連続急坂となり、下りでも非常にキツイ。ここまで幾多の下り坂を抑速ブレーキ(膝の筋肉)を効かせて下りて来たが、もうガクガク状態になってしまった。沼津着、時間の心配に加え体力も黄信号か?

    

 

   こわめし坂が終わると平坦な道になり少しほっとする。この平坦な道は旧国道1号線の舗装道路で、名前の通りかつては国道1号線だったが、東側にバイパスが出来たため今は時折地元のクルマが通る程度の裏街道になってしまっている。もっとも徒歩で通過する身にとってはその方が有り難い気もする。   

   その旧国道1号線をしばらく歩くと右手に松雲寺がある。箱根と三島の中間にあるこの寺は、幕末期に将軍や天皇家の宿泊所として使われたことから「寺本陣」と呼ばれたそうである。

   

 

   旧国道1号線が左へカーブする付近が小時雨坂への分岐点である。目立たない下り坂なので気をつけたいところ。このあと再合流して大時雨坂へと続く。

      

 

   陽光が徐々に傾き、電柱の影が長くなってきた。沼津どころがまだ三島宿にも着いておらず、これは急がねば…。

   この舗装道のなだらかな下り坂は臼転坂と言い、左手に国道1号線がほぼ並走している。この先の塚原新田で合流するのだが、今回訪れた平成19年10月の時点ではこの合流地点で道路整備工事が行われており通行禁止、少し手前で1号線に合流しなければならず残念。

      
 

   右写真の地点がその本来の合流地点で、三島側から来ると「箱根路」と大書した岩を目の当たりにする。今回はこのように工事用の柵があり、これ以上は近づけなかった。

   国道1号線は交通量も多く徒歩には味気ないが、少し行くと初音ヶ原石畳遊歩道が右手に並走するのでそちらの道をとりたい。

   

       
 

   遊歩道は石畳道で旧街道らしさを演出しているが、歩き疲れているときは普通の歩道のほうが良いかな、などと身勝手な考えが頭をよぎり、江戸時代の先人に頭の下がる思いである。

   さてしばらく歩くと錦田一里塚(日本橋から28里)にさしかかる。ここは今回歩いた中では最も良く当時の面影を残す一里塚で、国道一号線の両脇に両方とも残っているため国史跡に指定されている。写真左手前が西側の一里塚、道路を挟んだ右手奥が東側の一里塚である。

   

       
 

   騒々しい国道1号線から右に分かれると写真の愛宕坂石畳道となる。この石畳は当時のものではなく、自治体が旧街道らしい雰囲気を出すために敷いた演出なのだが、足が痛いとつい右脇の平坦な舗装部分を選んで歩いてしまい情けなや…。もっとも地元の歩行者や自転車も石畳部分を避けて通行しており、せっかくの石畳道も現代人からは敬遠気味?のようであった。

 

       
 

   ようやく坂を下りきるとJR東海道本線の踏切にさしかかる。程なく熱海行きの上り電車が通過していくが、この付近は3両編成で用が足りるらしい。同じ東海道本線でも東京口とはだいぶ輸送事情が異なるようである。

   ちなみにこのエリアはJR東海であり、このまま旧街道を歩くと遥か三重県の亀山まで延々とお付き合いする旅客鉄道会社である。まぁ社名が社名なので、こんなものだろうと妙に納得する(笑)。

      
 

   下り坂が終わった旧街道は県道に合流し、少し歩くと三嶋大社の鳥居が見えて来る。この付近はクルマの交通量が多く、右写真も横断歩道が青信号になった際にかろうじて撮れた1枚である。

   →次はおでん補給して沼津着です。