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  update 2007. 10. 28

踏 破 日 2007/10/21
コースタイム 15:15〜17:30
歩 行キロ 6.5q
累 計キロ 118.0q
踏 破 率 24.0%

 
おでん補給して沼津着

三嶋大社〜JR沼津駅
 

(前の下り坂が苦しいとは…へ戻る)

 

   三嶋大社を過ぎ、三島の街中を東から西へと歩く。旧三島宿付近は今も商店街として賑わっている。右の世古本陣はほぼ宿場の中心付近にあった本陣であるが、今は簡単な碑が立つのみである。

 

     
 

   伊豆箱根鉄道の線路を横断する。単線だが電車の本数は案外多い。

   
    

   踏切を渡ると道は二手に分かれるので左の道をとる。ここからしばらくも旧三島宿跡なのだが、現在ではこの踏切を境に急に静かなたたずまいの道となる。さらにしばらく歩くと駿東郡清水町との境界をなす境川を渡るが、ここが伊豆國と駿河國の境である。

   ところで今日は昼食をとっておらず、16時を過ぎてさすがに腹が減った。そこで境川手前のコンビニでおでん(@70×4個)を補給して凌ぐ。江戸時代の当時も街道脇の茶店が旅人の空腹を満たすことがあったと思われ、今は道脇のコンビニが現代版“茶店”と言える。 

    

 

   駿河國に入ると常夜灯が建っている。19世紀のもので保存状況は良さそうである。ここは行政上は駿東郡清水町なのだが、三島市の時から続く同じ様式の解説板がありがたい。

 

     

 

   時刻は16時半を過ぎ、道路にはもう陽光が落ちなくなった。このままでは撮影にも支障をきたしかねない、沼津へ急げ〜!

 

    

 

   上の真っ直ぐな道が国道1号線とクロスする少し手前に伏見一里塚(日本橋から29里)がある。玉井寺という寺にあるため玉井寺一里塚とも言う。なお反対側にも近年復元された一里塚があり、これは反対側の寺の名を取り宝池寺一里塚と言われている。(両方合わせて伏見一里塚と呼ぶ)   

   国道1号線を渡り、先を急ぐ。   

   

 

   さて黄瀬川を渡ると沼津市だがその直前に長沢八幡宮があり、ここへ立ち寄る。この神社は旧街道とはあまり関係ないのだが、平家追討の源頼朝が奥州から駆けつけた義経と対面した際の「対面石」があり、二人はこの石の上に座って相対したそうである。まぁ創作上の石だろうが、歴史ファンには要チェックの史跡(?)である。

  <吾妻鏡/治承四年十月廿一日 >(なんと日付が今日だ!)
  今日、弱冠一人、御旅館の砌にたたずみ、鎌倉殿に謁したてまつるべきの由を称す……年齢の程を思ふに奥州の九郎
か……果たして義経主なり。すなはち御前に参進して互に往事を談じ、懐舊の涙を催す。

      

 

   さぁやっと沼津市に入るも太陽が隠れてしまった。しかし沼津駅着までにどうしてもチェックしておきたい史跡があり、そこへようやく辿り着く。右写真にある日枝一里塚、日本橋から30里目の一里塚である。ISO400のフィルムで1/10秒・f3.5(開放)というキビシイ露光条件下でかろうじて撮影に成功、もう10分遅かったらダメだったかもしれない。

   この一里塚は前の伏見一里塚から3km弱しかないが、原則(約4km)通りに置くと沼津宿の真ん中になってしまうため、意図的にずらして設置されたらしい。当時はここから日枝神社への参道が伸びていたので、この場所が良いと決められたようである。

  →次は千本松原と富士山です。