update 2007. 11. 11
踏 破 日 | 2007/11/4 |
コースタイム | 11:50〜14:30 |
歩 行キロ | 9.7q |
累 計キロ | 134.6q |
踏 破 率 | 27.4% |
原一本松一里塚〜吉原左富士 |
(前の千本松原と富士山へ戻る)
道はのんびりした雰囲気で淡々と続く。富士市に入る少し手前で東海道線と再びクロス、今度は旧街道が南側に廻る。
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富士市へ。この付近の交通量は少ない。
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この付近は単調な行程となっているので、右手にそびえる富士山がどのように見えるのかを紹介しよう。 ♪頭を雲の上に出しぃ〜、と子供の頃に習った歌の通り、その山頂を雲の上に出している。本当は全景が見える富士山を期待したのだが、日中はやはり雲が出て朝の千本浜公園のように見えてくれない。やはり冬季でないと難しいのかな? |
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JR東田子の浦駅を右手に見て更に歩くと沼田新田一里塚跡(日本橋から33里)である。自分が訪れた時は簡単な柱を見つけたのみだが、ちゃんと石碑があるらしい。どうやら上手く発見できなかったらしく残念…。後日の補遺でカバーしたいところである。
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本日は東海道線と絡む行程、またも踏切を横断して北側へ出る。この踏切はJR吉原駅の手前のものであるが、旧東海道はここから内陸への道をとる。吉原は宿場町の一つでかつては海沿いにあったのだが、度重なる高潮の被害があり内陸部へ宿場を移設したためにこのような道筋となっている。 JR吉原駅は自転車置場だけが目立つ何とも殺風景な駅前、コンビニも無い。(腹が減ってきたなぁ〜。)
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街道は北西の進路を取り国道1号線・東海道山陽新幹線の高架とクロスするとほぼ北への進路となる。 |
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旧街道は富士市依田橋町へ。そろそろ一里塚がある距離(日本橋から34里)で、実際に当時は一里塚もあったようである。しかし現在その跡を示す石碑・案内板等は全くなく残念である。一里塚があったとされる場所は右写真の左富士神社付近と考えられている。
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“左富士”神社という以前に聞いたような名前、そう、この付近は先の南湖(茅ケ崎市)と共に下り旧東街道で2ヶ所しかない進行方向左手に富士山が見えるポイントで、名勝とされていた。 肝心の富士山は?と、今回も写真を凝視していただきたい。右の道が旧東海道で、その左にかろうじて見えるのが富士山頂である。工場の屋根が目障りだが“平成版”左富士ということで止む無しとしよう。
左富士の案内板アップはこちら |
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(参考)安藤広重の錦絵「東海道五十三次・吉原」
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→次はあぁ道間違えロスタイムです。