update 2007. 12. 1
踏 破 日 | 2007/11/23 |
コースタイム | 8:00〜10:10 |
歩 行キロ | 5.0q |
累 計キロ | 148.2q |
踏 破 率 | 30.1% |
JR富士川駅〜JR蒲原駅 |
(前のあぁ道間違えロスタイムへ戻る)
富士川駅を朝8時に降り立つ。高田馬場駅を朝4:57の山手線に乗り品川乗り継ぎで3時間、だんだん「遠征」になってきた。 さて今回は前回日没で撮影できなかった岩淵一里塚まで少し戻る。ここは日本橋から37里目の一里塚であるが、両側のエノキが一里塚らしさを十分に感じさせる遺構である。もっとも右側のエノキは昭和45年に新たに植えたものだが、その風格は左側のエノキに劣るものではない。
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(↑この写真は進行方向逆向きに撮影) | |
岩淵一里塚から500メートル程度歩くと常夜灯(石灯籠)が建っている。文政六年の銘があるこの石塔はやや後補が目立つが、この先の交差点を右折するための目印として見落とさずにおきたい。
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東名高速道路とアンダークロスして、旧街道はいったん山ベリの道をとる。この付近は石灯籠が道沿いに少なからず残されており、写真のものもそのうちの一つである。なぜか大黒天のミニチュアが置かれているのがご愛嬌?? |
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旧街道は再び東名高速とクロスする。今度は東名高速が切通し状のルートとなっているため、そのあおりでこの付近の正確な旧街道は消滅してしまっている。よって近くの新坂橋を渡ると左手に富士山が見えた。当時の旅人も同じくこの流麗なる霊峰を望んだのだろうが、現代ではクルマの轟音から逃れられず少々残念ではある。 道は下り坂となり駿河湾近くの蒲原宿へと向かう。 |
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旧街道は富士川町から蒲原町…もとい静岡市清水区へ入る。平成18年3月31日付けでこの付近は静岡市の飛地のような存在になってしまった。もっとも隣の由比町も予定通り平成20年に静岡市清水区に編入されれば飛地は解消される。しかし旧街道宿場町の名称が地方自治体としての町名から消えるのは残念な気もする…。 旧蒲原宿への入口手前に一里塚跡がある。ここは蒲原一里塚、日本橋から38里の地点である。
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ここからが旧蒲原宿である。 石灯籠と案内板が建っており、足を止めて見てみたいものである。 蒲原宿案内板のアップはこちら
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右上の石灯籠のアップ。常夜(塔)の文字が読める。
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隣を県道396号線(旧国道1号線)が並行して走るためにこの道は殆どクルマが来ない。町並みも古い民家が多く、いわゆるマンション系の建物がないのも旧道らしい雰囲気である。
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宿場のほぼ中心付近から道を南に少し歩くと、広重「夜の雪」碑がある。安藤広重の東海道五十三次の中でも屈指の作品といわれるのがここ蒲原宿「夜の雪」である。 |
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幕末に立てられた旅籠「和泉屋」。今は普通の商店だが、雰囲気はなかなか良い。この付近には格子戸がきれいな建物が比較的多いように感じられた。 しばらく歩くと旧街道は県道と合流してしまい、交通量の多い単調な行程となってしまう。
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左手にJR蒲原駅が見えた。旧宿場町は手前の新蒲原駅が位置的にもピッタリで、この蒲原駅付近は今でも町外れである。実は明治時代に東海道線が開通した際、隣の由比宿とまとめて駅は一つ設置ということで明治23年、両宿の中間にこの蒲原駅が設置されたそうである。 しかしその後由比側では海産物やミカンの輸送にやはり駅は必須と考え、鉄道院に駅設置の陳情を行い大正5年に「由比駅」が設置された。驚いた蒲原側もそれなら自分の町の中心にも駅をと運動したが、紆余曲折を経てようやく新蒲原駅が設置されたのは昭和43年のことであった。 |
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→次は桜えびと宿場町で町おこしです。