update 2007. 12. 9
踏 破 日 | 2007/11/24 |
コースタイム | 8:15〜11:00 |
歩 行キロ | 5.3q |
累 計キロ | 164.3q |
踏 破 率 | 33.4% |
JR興津駅〜江尻宿木戸跡 |
(前の絶景なり薩埵峠へ戻る)
今回は連休のうち初めの2日間を使った連続来訪、始発の東海道本線静岡行きに連日乗るのも初体験である。余談だがこの静岡行きは特別に設備の良い車両(特急型)が充当されており、リクライニングシートを倒すと寝過ごしてしまいそうである…。 さて昨日の終着地、興津駅に降り立った。今日も歩くぞ〜! |
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興津駅前を東海道本線と平行に走る国道1号線に早速一里塚跡を見つける。ここ興津一里塚は日本橋から41里目のものであるが、民家の脇に目立たないように石碑が建つのみなので注意したいところ。
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少し歩くと東本陣跡の石碑が建っている。この道は国道1号線なのだが、海岸沿いにバイパス線が並走しているためこの区間の交通量は案外少なく、のんびりした気分で足を進める。
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しばらく歩くと右手山べりに格式ある雰囲気の寺院の屋根が見える。ここは清見寺という臨済宗の寺院で、創建は奈良時代と古く由緒のある寺院である。かつて徳川家康が幼年期を今川家への人質として駿府で過ごした際、この寺へよく習い事に来ていたそうである。 この寺の境内で特徴的なのは総門と諸伽藍の間を東海道本線が横断している点であろう。そのため旧街道脇にポツリと立つ総門が不思議な印象を与えている。
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左手に西園寺公望の別荘として知られる坐漁荘を見て、旧街道は興津宿を出る。道はやがて静岡バイパスがオーバークロス(右写真)する地点にさしかかるが、ここは目立たないながらも赤矢印の脇道が旧街道であるので注意したい。
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右上写真で分岐した脇道は右へ弧を描くようにして東海道本線の踏切を渡り、程なく先ほどの国道1号線(静岡バイパスでない方)に合流する。 合流地点には写真の「延命地蔵尊」の地蔵堂と常夜灯(石灯籠)が建っている。それにしても駿河国を歩いていると石灯籠の多さが際立つ感じである。 |
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しばらくは西へ西へとクルマを見ながらの道中となるが、やがて清水区の市街が近づいてくる。国道1号線は緩やかに左カーブを描くが、旧街道は右手へほぼ直進する道をとる。 そのちょうど分岐点に松が1本植えられているが、ここはかつて細井の松原と称されて千本近い松の木が植えられていたそうである。残念ながら太平洋戦争の際に松の根を資源目的に伐採されてしまったのだが、往時を偲んで平成4年に松の木1本が植えられた。 |
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旧街道は旧清水市(静岡市清水区)の中心付近にさしかかってきた。ここは江戸時代に江尻宿があったところで、町名の由来を記した案内板が設置されている。それは良いのだが、実はこの付近に一里塚(辻一里塚/日本橋から42里目)があるはずなのに見当たらない。さてはまたも見落としかと道を戻ったり近くの路地に入ったりと30分近くこの付近をウロウロしたが結局見つからなかった。 非常に残念…であるが、考えられるフシとしては一里塚跡があると思しき近辺に大きなマンション造成工事があり、何らかのあおりをくって一時撤去or移転があったのかもしれない。いずれにせよこの一里塚跡もなんとかして補遺で掲載したいものである。 |
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旧街道は清水の商店街をジグザグに進む。道の角にある「雀荘」という店は洋品店であり、その筋の娯楽場ではないので念のため。
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商店街を抜けると巴川を渡る稚児橋にさしかかる。橋の欄干を良く見ると河童の像があるが、これは江戸時代に橋を開通させて渡り初めをした際に、巴川に河童が現れたことに由来するらしい。
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稚児橋を渡ると道はY字型の分岐にさしかかるので、右側の道を進むようにする。すると右手に「江尻宿木戸跡」の石碑が見え、ここまでが江尻宿であったことを示している。 時間はまだ午前11時、今日はこのあと駿府城下を抜けて安倍川を渡ってみせるゾ〜。
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→次は消された旧街道です。