update 2007. 12. 15
踏 破 日 | 2007/11/24 |
コースタイム | 14:30〜16:30 |
歩 行キロ | 5.1q |
累 計キロ | 178.9q |
踏 破 率 | 36.4% |
駿府華陽院〜JR安倍川駅 |
(前の消された旧街道へ戻る)
華陽院から旧街道に戻り、静岡の中心街へと歩く。横浜以来久々の大都市である。(平塚・小田原・沼津のかたゴメンナサイ…)
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静岡の中心部は江戸時代には駿府城の城下町としてと共に「府中宿」と名乗る東海道の宿場町としても栄えた。左にJR静岡駅、右に静岡鉄道新静岡駅を見ながら進むと脇本陣跡の石碑があり、併せて当時の駿府城と東海道の道順がイラストで記されている。 城下町を通る旧街道がジグザグに折れるケースは今までにもあった(小田原・沼津など)が、今回の駿府城下はかなり頻繁に折れまくるので正しい道をトレースするためには事前調査を入念にしておきたいところである。
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賑やかな商店街にさしかかった。ここが旧東海道と知って歩いている人はどれぐらいいるのだろう…? わかりにくいながらも「伊勢丹」前の札之辻(右下写真)址まで辿り着いた。札之辻とは、ここに高札場が設けられてお触書等の法令を掲示した場所があった道という意味である。昔も今も人がたくさん集まった場所なのであろう。
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さて、ここでジグザグ道の歩き方をまとめてみよう。この周辺は現地で非常に苦労するルートなので、踏破されるかたは手持ちの資料と併せて下記を参考にされたい。(平成19年11月現在)
1.江川町交差点(五叉路)を左折、静岡銀行方面へ |
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ジグザグ道が終わり真っ直ぐな道となってホッとする…のも束の間、次の一里塚地点が近づいてきた。ところがこの「府中一里塚跡(日本橋から45里)」は何故か旧街道沿いにはなく、並行する幹線道路に設置されている。ここは全くの見当違いの場所であり、事前調査なしの来訪では見落とてしまうと思われる。 この碑は本通8丁目交差点近くにあるが、旧街道沿いには何らかの事情で設置できなかったのだろうか? 道脇の「一里塚」碑もどことなく所在無げな感じだった…。
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旧街道に戻り西へ。夕方らしい陽光となってきたので急がねば。 上述の幹線道路と合流する地点が見えてきた。その先に安倍川の橋梁も見える。やれやれどうにか日没前に渡れそうで、先月の富士川のような「撮影苦」はなさそうである。 |
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安倍川と言えば「あべ川もち」の知名度があげられるが、川を渡る手前に当該「もち屋」があるので関心のある向きには立ち寄ってみるのも良いだろう。当方は日没勝負の行程なのでやむなくパス。 |
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【安倍川義夫の碑】 あべ川もち屋の隣に安倍川渡しの人夫を賞賛する石碑がある。江戸時代中期、ここで旅人の落し物(財布)を拾った川渡しの人夫が遥か先まで歩いていた落とし主に追いついて財布を渡したが、感激した落とし主がお礼を渡そうとしたところ「落とし主に落し物を渡すのは当然のことをしただけ」と受け取らなかった。お礼の金を町奉行を通してもなお受け取らなかったため、改めて正直者に対する褒美という形をとってようやく受領したという故事にちなむ。 |
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陽のあるうちに安倍川を渡る。江戸時代には橋はなかった。
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安倍川を渡りきると手越地区の案内板がある。当時は宿場町の間の距離が長い場合に「間(あい)の宿」が置かれることがあり、ここ手越も間の宿として特に安倍川の増水時による川止めの際は賑わったようである。(右の看板は南が上になっているので念のため)
手越の案内板アップはこちら
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手越を過ぎ、山の稜線に太陽が隠れてしまった。国道1号線と合流した旧街道は佐渡(さわたり)交差点で左へと分かれる。さらに進むと鞠子(丸子)宿となるが、今回はその手前でJR安倍川駅への道をとり帰京する。 (次回は宇津ノ谷の峠越えがあるぞっ!)
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→次は閑静丸子宿と喧騒国道1号です。