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  update 2008. 1. 9     

踏 破 日 2007/12/25
コースタイム 10:25〜14:10
歩 行キロ 6.8q
累 計キロ 190.7q
踏 破 率 38.8%

 
時間が止まった宇津ノ谷峠

道の駅宇津ノ谷峠〜鬼島一里塚
 

(前の閑静丸子宿と喧騒国道1号へ戻る)

   

   道は国道1号線を右に折れ、宇津ノ谷の里へ。

   それまでのクルマの喧騒がうそのような静かな谷あいの道となり、山ベリにしがみつくように集落がひっそりと息づいている。道端の川も渓流と表現したほうが良いほどである。この静けさは平行する国道1号線がトンネルに吸い込まれているから当たり前…とは言え、落ち着いた雰囲気に安堵する平成の旧街道行脚の士も少なくないと思われる。

   

       

 

   緩やかな上りとなった石畳道の右手に建つ、いかにも古くからある家…、「お羽織屋」と呼ばれるこの家にはかつて豊臣秀吉が小田原攻めの進軍中にここへ立ち寄り、家の主人の丁重なもてなしに感激した故事が残る。秀吉は勝ち戦の帰途、この主人に陣羽織を褒美として与えたそうで、その陣羽織は今もここに展示されている。

 

       
 

   道はいよいよ山道となる。写真の「旧東海道のぼり口」の標識が有り難い。と言うのもここ宇津ノ谷峠を抜ける道はいくつも現存し、具体的には下記の通り。(郷土史研究には格好の題材と言えそう)

   1.蔦(つた)の細道…平安期から残る古道
   2.旧東海道…今回紹介する道
   3.明治時代のトンネル道…明治9年開通、初の有料トンネル
   4.宇津ノ谷隧道…昭和5年開通(県道208号線)
   5.新宇津ノ谷隧道…昭和34年開通(国道1号線)
  6.平成宇津ノ谷トンネル…平成10年開通(国道1号線)

    
    

   道端の石仏、まるで時間の流れが止まっているかのように静かに並んでいる。じっと立ちながら何人の旅人を見てきたのだろう…

       

 

   峠へ向けて上り坂は続くが、かつての箱根石畳道(荒い!)に比べればはるかに通行は楽である。

   もっともこの付近は明治43年の山崩れで道そのものが無くなったため後世の整備により出来上がった道であり、そのため歩きやすいのかもしれない。

 

      

   

   峠が近づいてきた。つづら折の坂の途中にあるわずかな平地は「地蔵堂」跡である。(→地蔵堂跡の解説はこちら

         

  

   この付近が宇津ノ谷峠で、あとはひたすら下り道。帰宅後、この峠について更に調べたらタッタの標高170mとのこと。もっと登ったような気がしたのだがなぁ〜。

          

 

   下り坂は単調であっという間に国道1号線と合流。もっとも旧街道は程なく右手の道をとり岡部宿へと続く。写真は廻沢口(めぐりさわぐち)歩道橋からの撮影である。

 

        

 

   岡部宿が近づいてきた。旧街道は右のガソリンスタンド跡(写真から漏れているが…)を右へ入り、少し回り道してから合流する。

          

 

   岡部宿自体は東海道本線や国道1号線(岡部バイパス)から外れた位置にあるため車道の交通量も少なく、のんびりした雰囲気である。

   この岡部宿で見るべき史跡としてはこの「柏屋」をあげたい。ここは当時栄えた大旅籠を平成12年に整備のうえ公開したもので、国の登録有形文化財に指定されている。

   入場料として300円必要だが、2階部分も含めた各種展示はなかなか見ごたえがあり、この値段ならむしろ安いかも知れない。と言うことでここはおススメである。

  

          

 

   冬の昼、ほんのり暖かい日差しを受けて岡部宿を歩いてきたが、そろそろ宿場町も終わりに近づいた。この出口部分の道が例により鍵状になっているのは「曲尺手(かねんて)」であり、宿場町への出入り口を故意に曲げることにより敵の安易な侵攻を防ぐ意味があったとされる。

  

          

 

   上の「曲尺手」を過ぎると程なくこの「五智如来像」に出くわす。かつて藩主の娘の言語障害が治ったという霊験があるらしい。

   さて隣接するコンビニで弁当を買い、その五智如来脇のベンチで食うとする。ほとんど現代版徒歩旅行の実践そのものである。

  

          

 

   さぁ腹を満たしたぞっ、再び街道を西へ歩こう。行程はやや単調な道となるが、進行方向右側には松並木が植えられている。

  

          

 

   道は岡部町から藤枝市へ入り、ここ仮宿交差点に差しかかる。この交差点は十字路に対し旧東海道が斜めに突き刺さる六叉路(!)であるので進路を間違えないようにしたいが、今来た道の角度通りに続く道をとればOKである。

  

          

 

   仮宿交差点を過ぎると程なく「これより西、田中領」の碑が建っており、かつての田中藩を表す標識を近年新たに建てたとわかる。それは良いのだが、実は旧東海道の資料によっては交差点を過ぎると程なく一里塚跡があるとの記述があり、この付近を必死になって探しまくった…が、ない。またしても一里塚の怪、さぁどうしよう?

   時間の浪費を嫌う意味もあるが結局根負けして、この「田中領」の石碑をそれらしきものと見なして先へ進むことにした…。

  

          

 

   …なんと、探していた一里塚跡発見である!

   ここは鬼島一里塚、日本橋から49里目である。先の仮宿交差点から500メートルほど歩いたアパート「エムロードA」の脇に建っているので、これから歩かれる方は是非参考にしていただきたい。

   そう言えば旧東海道を完歩された先達諸氏のHPを拝見しても、この壁際の防水コンセント2個が標識と共にちゃんと写っているようである。そうか、ここだったのか…。

  

    →次は鉄道忌避伝説と藤枝宿です。