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  update 2008. 3. 19

踏 破 日 2008/03/08
コースタイム 10:10〜11:55
歩 行キロ 3.5q
累 計キロ 224.1q
踏 破 率 45.5%

 
宿場町より城下町?

JR掛川駅〜大池一里塚
 

(前のやはり間違えた七曲りへ戻る)

 

   掛川の七曲りをどうにかクリアし、気分も新たに掛川市街を東から西へ横断する。写真右の建物は和菓子の桂花園で、ここからは真っ直ぐの道となるので気分もホッとするところである。

 

     

  

   掛川は東海道の宿場町として栄えたほか、徳川氏(城代は石川氏)や山内一豊が居城した掛川城を擁する城下町としても知られている。戦国時代には先に紹介した諏訪原城が武田氏の城であることを考えると、まさに敵と火花を散らす最前線であったわけである。

   右の大手門は平成7年に復元されたもので、当時の位置より50Mほど北に建てられた。(奥に大手門番所も復元されている。)

 

     

  

   掛川城天守閣は平成5年の復元であるが、掛川の市街を一望に見下ろす位置にあり、本来であれば十分に時間を取り見学したいところである…(以下、何を言いたいかは省略)。

   

 

     

 

   そんなわけで街中を歩いていても宿場町よりは城下町としてのモニュメントが目立つ。少し先の清水銀行掛川支店の外壁には掛川城主だった山内一豊が妻千代の内助の功で名馬を入手できた故事が大きく表現されていた。

   静岡・浜松という政令指定都市のほぼ中間に位置する掛川、商店街を歩いていても例により空洞化が否めない。そこで掛川らしい個性をアピールする手法として「城下町」で町おこしに取組んでいるのだな、との感を歩いていて強めたのであった。(もちろんそれが悪いというわけではない。念のため。)

     
 

   掛川宿を出て少し歩くと道は国道1号線に合流する。交通量が増えるが600Mほど歩くと右下写真の大池橋があり、ここで旧街道は南西へ分岐する。

   
    

   実はここ大池橋は東海道と秋葉街道とのちょうど分岐点である。秋葉街道とは火防(ひぶせ)の神として崇められている秋葉大権現を祀る秋葉神社(南アルプスの麓にある)への道である。駿河・遠江国の旧東海道では常夜灯が多く残っているが、その殆どが秋葉山常夜灯を名乗っておりその信仰の程を窺わせる。

 

    

 

   上の大池橋から400Mほど歩くと旧街道は天竜浜名湖鉄道とクロスする。写真の左手には西掛川駅(単線の無人駅)がある。列車の走行シーンを写真に収めるべく待つが、列車がなかなか来ない。事前にダイヤを調べていなかったので止む無くジッと待つ。脇の西掛川駅には時刻表が掲示されているのだが、街道を離れたすきに列車に来られても困るわけだ。

   待つこと10分程度、下り列車が掛川方向からやって来た。西掛川を出発してガーター鉄橋を渡るところで撮影。あとで調べたら運が悪ければ40分待ちも有りえた閑散ダイヤであった。

     

 

   西掛川を過ぎると左手に蓮祐寺という寺が見えてくるが、ここに大池一里塚跡がある。(日本橋から59里目)

   ここから先、旧東海道は舗装道路ながら両側に松並木が残る場所が随所に存在する。(写真右手奥にも見える)

 

   →次は袋井宿は「どまん中」です。