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  update 2008. 4. 12 

踏 破 日 2008/03/29
コースタイム 9:50〜12:45
歩 行キロ 7.2q
累 計キロ 298.5q
踏 破 率 60.7%

 
御油の松並木よ末長く

JR小坂井駅〜御油の松並木
 

(前の撮れていた一里塚跡へ戻る)

 

   既に過ぎた吉田宿と次の御油(ごゆ)宿との距離は約10キロ、宿場間の距離としては長いほうである。そのちょうど中間付近に伊奈村立場茶屋(加藤家)があり、今はその跡に標識と句碑が立っている。この区間に間の宿がないことから考えても、旅人の休憩地として賑わったことが想像できる。

   

   

     

  

    立場茶屋からしばらく歩くと伊奈一里塚跡が右手にある。ここは日本橋から75里目の一里塚である。ここも例により碑文が車道を向いているが、交通量がやや減った感じで撮影は楽にできた。

   

     

   

   伊奈一里塚から2キロ半ほど歩くと旧街道は国道1号線と合流し、名鉄名古屋本線と交差する。名鉄を見て中京圏を歩いていることを強く実感する。

   なおこの付近は旧東海道の道が無くなっているため国道1号線を通ることとしたが、実際はもう少し北西部に道があったとされる。

   

   

     

  

    上の名鉄と交差したあと、旧街道は国府町藪下の交差点を斜め左に入り、御油・赤坂宿付近は国道1号線から外れる。そのせいもあり落ち着いた宿場町跡の雰囲気を楽しめる。

   

     
 

   御油宿に入る少し手前、右手にある蒲郡信用金庫国府支店の敷地端に御油一里塚跡がある。ここは日本橋から76里目で、碑文にも書いてあるのでわかりやすい。

   それにしてもまだ昼前だというのに今日は歩いたな〜。
   

   

    
    

   御油宿が近づいてきたが、その手前に常夜燈があるところで右後方から道が合流する。この道は前の見付宿で分岐した姫街道で、浜名湖の北を回りここでようやく合流するわけだ。

   

    

  

    時刻はちょうど昼となった。音羽川という川を渡る五井橋(旧御油橋)から先が旧御油宿なのだが、橋の両側に咲き誇る桜の歓待を受けて平成の旅人はなんとも嬉しい気分になった。

 

    

 

   橋を渡り、狭い舗装道をしばらく歩くと高札場跡がある。ここも桜がきれいであった。

   旧街道はここを右折、少し行って左折して北西への進路が続く。ここに公民館があるのだが、その裏手に「御油の松並木資料館」(入館無料)がある。御油・赤坂・国府地区の復元模型を始めとした各種展示は見ごたえがあり十分見学に値するので、本物の松並木に辿り着く前のレクチャーとしてお勧めである。

    

 

   本陣跡。御油宿には多い時で4軒の本陣があり、他に脇本陣や旅籠も数多くあったと言われ、当時はなかなか賑わっていたようである。

   しかし明治になり東海道本線敷設を宿場が嫌った(鉄道忌避)ために寂れてしまい、今では旧宿場町全体が町外れのような様相となっている。

   

    

 

   そんな御油宿であるが、ここの白眉は何と言っても「御油の松並木」であろう。約650Mの道のりに最盛時には600本もの松並木が続き、昭和19年には国の天然記念物に指定されている。そのため戦時中の松根油(松の根から油を抽出する)目的の伐採からも逃れられたそうである。

   江戸時代の人為的な植林を“天然”記念物と称するのは面白い感じもするが、ぜひ味わって歩いてみたいものである。

    

 

   道は舗装されているがクルマの交通量はさほど多くないため、右の写真のような雰囲気である。今までに幾多の松並木を見てきたが、規模はここが一番と言って良い。

   惜しむらくは「切り株」と化した松の木も少なからず存在しており、大雑把に見て5本に1本は切り株であった。これほどに素晴しい文化遺産を末長く後世に残してほしい、と歩きながら思わずにはいられなかった。

→次は旧街道は名鉄に密着です。