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  update 2008. 5. 10 

踏 破 日 2008/05/03
コースタイム 9:40〜13:30
歩 行キロ 4.5q
累 計キロ 317.5q
踏 破 率 64.5%

 
二十七曲りは巡ったが…

大平一里塚〜矢作橋
 

(前の早朝の藤川宿瞥見へ戻る)

   

   国道1号線と合流した旧街道は岡崎インター西の合流点からほぼ平行した脇道となる。右写真もすぐ左側は国道1号線が並走しているのだが、旧街道を模した休憩施設が作られておりベンチに腰を下ろして少々休憩する。

   天気予報どおり曇天から晴天となり、暑くなってきた。この天候では日焼けが少々気になるところである。

 

    

  

   さて岡崎宿が近づいてきた。ここは宿場町であると同時に岡崎城を擁する城下町でもある。過去の府中(駿府)・掛川・吉田の例にもれず、ここ岡崎も城下町の常として街道が幾重にも折り曲げられ道順が複雑になっているので注意が必要である。

   右写真は国道1号線から右に分岐していく旧街道であるが、1号線側の歩道を歩いてしまうとこの分岐を見過ごす危険があるため注意したい。岡崎宿は「二十七曲り」と言われるほどの曲折した道順なのだが、そのスタート前で間違えては話にならない。

     

  

   そして旧街道は岡崎二十七曲りのスタート地点である「冠木門」にさしかかる。さぁここからが大変、かつて掛川「七曲り」でしくじった苦い経験から下調べもしてきたのだが、今回はどうだろうか…。

    

   「岡崎二十七曲り」(平成20年5月現在)の地図を下記に掲載してみたので、踏破を志すかたは参考にして頂ければ幸いである。

  

   この二十七曲りには岡崎市も道標や看板を多く設置しており、散策の便宜をはかっている。写真は若宮町2丁目交差点を左折してすぐにある「岡崎げんき館」脇にある道標である。


     
 

   「岡崎城下二十七曲・扇町より伝馬町角」の道標から一旦右折し、すぐに左折する。そこからしばらくは直進する。

   

    
   

   伝馬交差点の次、「伝馬通1丁目交差点(西本陣前角の道標)」を左折、すぐに右折とこの辺から少々忙しくなってくる。右折したすぐ先に赤レンガ造りの「岡崎信用金庫資料館」があるのだが、悲しいかな祝日は閉館とあってガクッ。ちなみに通常の土日であれば開館しているようであった。

    

 

   資料館の先の道を右折し広い道に出るとすぐ正面の籠田公園にぶつかり道はなくなる…が、旧街道はこの公園内を突っ切っているので間違えないようにしたい。(右下写真)

   公園らしくベンチもあったので少々休憩する。

   

    

  

   本町1丁目交差点から「岡崎シビコ」(ショッピングセンター)の右脇を50M程歩いて右折、この付近は次々と折れ曲がるので持参の資料が手放せない。石の道標はちゃんと建っているものの、目立たない場所に建つものも有るので、目印になる建物も併せてしっかり見ておきたいところである。

   岡崎は戦災の影響もあり古い建物が殆ど残っていないのだが、伊賀川の手前右手に写真の古い建物が残っている。2階の看板「唐弓弦(とうゆみづる)」は当時の綿打ちの道具を意味する。 

    

 

   旧街道は国道1号線を南へ渡るので、近くの歩道橋を使う。ここを直接横断することは極めて危険(ほぼ不可能)なので、労を惜しまず迂回する必要がある。

   

    

 

   国道1号線の南側に出た旧街道は西進し、愛知環状鉄道とアンダークロスする。写真左手には中岡崎駅があるが、駅の名称とはうらはらに旧街道は岡崎市街を去りつつある。

   

    

 

   愛知環状鉄道を過ぎると落ち着いた雰囲気の町並みとなる。この一帯は戦災を免れて古い町並みが残っており、今も味噌蔵が並んでいる。  

    

 

   さて旧街道は矢作川を渡る。これで岡崎二十七曲りを全部クリアして岡崎宿を出たわけだが、いざ思い返すと正確に道を辿ることに執着するあまり、岡崎らしい史跡を殆ど見ることなく旧岡崎宿を出てしまい少々惜しいことをした気分になった。もちろん行程上の時間的制約もあるのだが、例えば岡崎公園(岡崎城資料館や三河武士のやかた家康館がある)ぐらいには寄るべきだったかな…。

   このように後ろ髪を引かれる思いではあったが、本日の宿泊先・知立はまだ先、ひたすら急ぐ。

 

    

 

   ところでこの矢作川にかかる矢作橋は日吉丸(のちの豊臣秀吉)が蜂須賀小六(正勝)と出合った場所とされ、そのためここに「出会之像」という石像が置かれている。

   残念ながら現在は橋の架け替え工事のため一時的に撤去されており、その旨を伝える看板が「出会之像」の写真入りで掲示されていたので右に紹介しておく。

   愛知県下の旧街道沿いとあって秀吉や家康の史跡に出くわすが、残る「彼」の故事に因む史跡には明日さしかかる予定である。

   →次は武蔵の躑躅は咲きたるやです。