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  update 2008. 5. 12 

踏 破 日 2008/05/03
コースタイム 13:30〜17:20
歩 行キロ 11.0q
累 計キロ 328.5q
踏 破 率 66.8%

 
武蔵の躑躅は咲きたるや

矢作橋〜名鉄三河線踏切
 

(前の二十七曲りは巡ったが…へ戻る)

   

   矢作橋(やはぎばし)を渡った旧街道は国道1号線と別れ右に平行する道をとる。この付近には日本橋から82里目を示す矢作一里塚があったとされるが、現在それを示す石碑・看板等は見当たらない。

   

 

    

 

   かつて矢作の地は中世以降矢作宿として栄えていた。これは橋のない矢作川の増水による川止めが旅人の滞留につながったためと言われている。そのため江戸時代初期に橋が架かると宿場町としては城下町でもある岡崎宿が栄え、矢作宿は衰退してしまった。したがって東海道五十三次でも岡崎宿の次は池鯉鮒(知立)宿であり、矢作の名はない。

   国道1号線と分かれた道を歩いていると和菓子屋さんがあり、岡崎銘菓「やはぎ音頭」を謳っている。この地が行政上は岡崎市でも、矢作の名を大事にしている好例かもしれない。

     

  

     一旦国道1号線に合流。この付近も例に漏れず中央分離帯つきの片側2車線とあって交通量がたいへん多い。

   そんななか、歩道脇に躑躅(ツツジ)の植込みと330キロポストを撮影する。昨年の今頃、やはりツツジが満開であった神奈川宿の手前で28キロポストとツツジの植込みを撮影したことが思い出される。あれから1年が経ち、歩き繋いだ距離は日本橋から300キロを超える。

   今年もあの武蔵国のツツジは咲いているのだろうか…。

     

  

   道は岡崎市から安城市へ。この地点から旧街道は斜め右の松並木道へと分岐する。


     
 

   道幅はあるが例により脇道のため交通量が少ないので、松の木陰に腰を下ろして少々休憩する。

   

    

   

   午後の陽光が自分の進行方向に直射するようになり、なるべく建物や木々の陰で凌ぐよう道の左端を歩く。本日は気温も高く日差しも盛夏の一歩手前ぐらいの強さであり、菅笠を必携した昔人のようにせめてキャップ帽ぐらいは持参すべきだったと反省する。

   右は熊野神社入口左脇にある尾崎一里塚跡の石碑である。ここは日本橋から83里目の一里塚跡である。本日は80里目に該当する大平一里塚を午前中に見てから81・82里目の一里塚跡は設置がなかったため、久しぶりの一里塚跡である。

 

    

  

   熊野神社から先に進むと右手に禅宗・永安寺がある。寺自体は無住ではないかと思うほどひっそりとした寺であるが、庭に植えられているクロマツは樹齢約300年で県の天然記念物に指定されている。特徴は上に伸びず寺の庭を覆い包むように枝を横に広げている点で、その形状から「雲竜の松」と呼ばれている。

   もともとこの寺はこの地の庄屋・柴田助太夫を祭る寺で、寺の由緒に記載がある。→寺の由緒はこちら 
 (戻る際はブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください。)

  

    

  

   それにしても岡崎宿から知立(昔は“池鯉鮒”と書いた)宿への距離は長く、14キロ強の道のりである。宿場間距離が長いため行程がやや単調な感が有り、もう次の一里塚が見えてきた。ここは来迎寺一里塚、日本橋から84里目の一里塚跡である。

   この一里塚は道の両側に盛土の塚が現存し、愛知県史跡に指定されている。通常は榎が植えられるところ、この塚にはいずれも松が植えられており、当時から代々松を植えているそうである。

   南側の塚に「県指定文化財を大切に!」の手作り看板を見つけ、地元の史跡に対する気持が伝わってきた。→看板はこちら 
(戻る際はブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください。)

    ↑来迎寺一里塚 (左が北側、右が南側の塚)

 

   午後の陽光から夕方の陽光へ。旧街道は知立の松並木にさしかかる。知立の松並木は両側に側道がついており、かつて馬市が開催された時に馬を繋いでいた場所と考えられている。

   

    

 

   右の石碑は「引馬野爾の歌碑」と「馬市之址」で、松並木が終わる付近にある。

   

    

 

   久しぶりに国道1号線と斜めにクロスして、旧街道は南側に抜ける。道の傍らに建てられた石柱に「池鯉鮒」と刻まれているのが当時の地名である。  

    

 

   さて旧街道は名鉄三河線の踏切にさしかかった。宿泊先である「ルートイン知立」は国道1号線沿いに有り、ここから徒歩で10分足らずの場所なので本日は取りあえずこの地点までとしよう。

 

  →次は勘と経験で一里塚探しです。