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  update 2008. 5. 18 

踏 破 日 2008/05/04
コースタイム 12:30〜13:10
歩 行キロ 1.4q
累 計キロ 339.0q
踏 破 率 68.9%

 
宿場町顔負けの有松

桶狭間古戦場跡〜鎌研橋
 

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   旧東海道散策もいよいよ名古屋市へと入るが、市内の宿場町・宮は陸路の中締め的な場所にある。と言うのも江戸時代の旅ではこの宮宿から次の桑名宿(三重県桑名市)までは舟渡しであり、七里(約27km)もの海路を波に揺られての旅だったのである。 

   現代では踏破の選択肢が幾つかあり、鉄道・バス・徒歩・さらに近年では桑名市観光協会による観光船(不定期)で宮→桑名を渡る旅人もいるようである。さて、どうしたものか…。

    

   

   さて桶狭間古戦場から戻り、旧街道は大将ヶ根(古くは太子ヶ根と呼ばれたが、桶狭間の合戦で信長の軍勢が集結した場所であったことから改称されたとの伝説有り。)交差点でななめ右へ分岐する。この道は間の宿・有松への道である。

   知立宿と鳴海宿との間は11キロあるため間の宿「有松」が設置されているが、この有松はかなり鳴海宿寄りに位置している。有松では江戸時代初期に絞染めを売り出すと、尾張藩の保護の下で有松の特産品として全国にその名が知れ渡り、宿場も大変栄えたようである。   

    

  

   有松宿の東側の軒先に菅笠や草鞋が掛けられ、ここが旧東海道であることを感じさせる演出となっている。看板に絞製品を販売する旨の記載があることからも、江戸期から伝統を受け継いでいる家なのであろう。

   有松の絞染め製品には羽織・浴衣からハンカチ・Tシャツまでいろいろあるが、宿内を歩いていて驚くのはどの家の軒先にも「あ・り・ま・つ」と染め抜いた暖簾が掛かっていることで、非常にインパクトがある。

     

 

   この付近は有松宿の東端に位置している。やはり看板に「有松志ぼり」の看板が見える。行政上は名古屋市緑区であるが、地元では有松の呼称を大事にしている雰囲気が街中から伝わってくる感じである。

  

    

     

  

   有松には市の指定文化財に指定されている建物が多く、古い町並みが非常に良く残されている。


     
 

   ここは服部家。近くの竹田家とともに、有松絞りの中心的な商家であった。現在も「井桁屋」の屋号で営業している。

   窓・扉・壁・塀・・・どれを取っても景観へのこだわりを感じさせる町並みが続く。惜しむらくは電柱と送電線で、ここまで素晴しい町並みなのだから埋設する等の工夫があればな…と思ってしまうのは旅人の贅沢な希望なのかも知れない。

    

   

   さて有松の美しい町並みもようやく切れて間の宿有松も終わろうかという頃、旧街道は建設中の名古屋環状2号線(道路)とアンダークロスする。その地点に「有松一里塚」復元予定地の看板がある。

   有松一里塚は日本橋から87里目の一里塚である。大正時代までは残っていたとされるが、私有地となるに至り取り壊されてしまったとのことである。

   旧街道は名鉄の踏切を渡り、鎌研橋(かまとぎばし)を渡る。

  →次は宮の渡しに佇むです。