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  update 2008. 10. 7 

踏 破 日 2008/10/04
コースタイム 10:00〜11:30
歩 行キロ 3.6q
累 計キロ 377.9q
踏 破 率 76.8%

 
桑名市内の道標に感謝

九華公園(桑名)〜町屋橋
 

(前の名四国道で七里の渡しへ戻る)

   

    桑名へやってきた。旧東海道の桑名側のスタートは九華公園(桑名城址)の一角にある「七里の渡し場跡」(写真右下)である。

   桑名は東海道の宿場町であると同時に桑名藩の城下町でもあった。江戸時代初期に徳川四天王のひとり本多忠勝がこの地に10万石を与えられ、城下は大いに賑わったようである。

   その九華公園には本多忠勝の像がある。かつてあるコンピューターゲームに自分が嵌っていた頃、この武将が天下統一に尽力してくれて大変有り難い存在であったのが思い出される。(笑)   

    

   

   さて「七里の渡し場跡」に立つと、伊勢湾台風後に構築された大きな防波堤のために昔の雰囲気を味わうのは少々困難であることがわかる。しかしその堤防の上に立つと広大な揖斐川が広がっていて眺めは良い。

   桑名宿の案内板はこちら
(戻る際はブラウザの「戻る」ボタンで戻って下さい。)

   

    

  

  「七里の渡し場跡」から旧東海道は南下する。かつての渡し場付近が宿場町の中心であったが、当時の遺跡はそれを示す石標が所々に立つのみである。しかし全体として道の両側には趣のある建物が並んでおり、この道が古くからの道であることがわかる。

 

  

     

 

   旧街道は八間通りとクロスして程なく春日神社にさしかかる。ここの鳥居は寛文7年(1667)に建てられた青銅製で、県の文化財に指定されている。桑名は古くから鋳物業が盛んであり、この鳥居にもその特徴があらわれている。

    

     (↑35mmレンズで撮影)

  

   さらに進むと桑名城の堀が進行方向左手に沿ってくる。ここには「歴史を語る公園」という旧街道に沿った細長い公園があり、良く見ると江戸日本橋や富士山、京の三条大橋のレプリカが次々と並び、簡便な五十三次巡りが楽しめるようになっていて面白い。

   本日は名四国道から一部歩行を開始しているため、この公園で少々休憩する。

     
 

    旧街道は一旦西へ行き、桑名市博物館を左に見て京町交差点を渡り「よつや(吉津屋)通り」へ。ここは古くからの商店街といった雰囲気で、仏壇仏具店が多いのも特徴である。

   さらに進行方向右手に「桑名市ふれあいプラザ」を見て交差点を直進、しばらく進むと吉津屋見付跡の碑がある。ここはかつて宿場の吉津屋門が有った場所とされ、街道は「コ」の字を描く枡形道路となっている。来訪前はこの複雑な道順がわかるか?と心配だったが、石碑が曲角ごとにあるので安心して通行できる。  

      

   

   枡形道路を過ぎると街道は「いもや」という少々コアな玩具店を過ぎ、街道脇に連なる寺院を見て日進小学校から再度西進する。

   やがて国道1号線を渡ると矢田立場跡にさしかかり、ここには火の見櫓が再現されている。なお右写真は構図の関係で櫓上部が欠落しているので、下記写真を繋いでイメージして頂きたい(苦笑)。ここにも「東海道」の道標があり、道順を正確に辿れて有難い。  

 

  

   

   再び南下する旧街道は福江町を過ぎ、ようやく旧桑名宿のエリアを出る。国道258号線とクロスして少し歩くと右手に立派な石造常夜灯が残されている。この先は町屋川を渡る町屋橋なのだが、旧街道の橋は昭和8年に隣接の国道1号線の橋が開通した時点でお役御免となり、現在は川の手前で道が切れて小公園となっている。

   したがってこの橋のみ近くの国道1号線の橋を渡ることにしたが、橋の両側のたもとには休憩用のベンチが整備されており、平成の旅人も有難く使わせてもらうことにした。   

  →次は近鉄と三岐とJRとです。