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  update 2008. 10. 7

踏 破 日 2008/10/04
コースタイム 11:30〜15:00
歩 行キロ 9.0q
累 計キロ 386.9q
踏 破 率 78.6%

 
近鉄と三岐とJRと

町屋橋〜JR四日市駅
 

(前の桑名市内の道標に感謝へ戻る)

 

    国道1号線の町屋橋を渡ると桑名市から朝日町へと入る。旧街道は国道1号線の西側にほぼ平行する道をとる。

   手持ちの資料では町屋橋を渡って程なく一里塚が地図上に記載されている…が例により見当たらない。しかし当方も全行程の7割以上をクリアしている経験から歩くうちに見つかるだろうと妙に楽観して進むと案の定200mほど先にあった。ここは縄生(なお)の一里塚、日本橋から97里目の一里塚である。

   しっかりと彫られた「一里塚跡」の碑ではあるが解説や設置年月日の記載は全くなく、この点は少々惜しまれるところである。

    

 

   さて一里塚跡を過ぎると伊勢朝日駅前の踏切を渡るが、この路線は近鉄の名古屋線である。JR線を除けば、今まで歩いてきた街道脇には京急・相鉄・小田急から岳南・静鉄・天浜に名鉄と、幾多もの鉄道路線が次々と現れては消えて行った。そして今日こうして近鉄電車を見ると「あぁ遥か伊勢国まで来たんだな」との実感がやはり湧くものである。

     

 

   旧街道はしばらく単調な道となる。伊勢朝日駅から少し離れた場所にはJRの朝日駅があるが、その手前を緩く左折する。この付近には「みえ歴史街道・東海道」の看板が電柱等に多く掲示されており、写真の右手にも見える。看板の左側を折ってあるのは左折の意味と思われるが、設置当初から折ってあるのかは不明である。

     

  

   やがて正面に伊勢湾岸自動車道の高架が見えてきた。その下を朝明川が流れており、朝日町と四日市市との境となっている。その手前、道の両側に近年設置したと思われる木のベンチを見つけたので少々休憩する。先の町屋橋でもお世話になったが、地元が旧街道散策の便宜をはかって設置した休憩施設のようで有難い。この右側のベンチ脇には桜の木が植えられており、半年後はさぞきれいなのだろう思った。


     
 

   四日市市に入った旧街道はJR関西本線および三岐鉄道と交差する。道路上の踏切がJR、高架部分が三岐鉄道で、しばらく待っているとセメント輸送の貨物列車(三岐鉄道)がゴトゴトと通過して行った。本当は両方の鉄道が同時に通過する写真を撮りたかったのだが、ローカル線でもあり残念ながら叶わなかった。

   

   

    

  

   旧街道は四日市市の富田地区へさしかかった。この付近は現在でも四日市市の北部の中心として賑わっているが、かつて江戸時代にもいわゆる「間の宿」として栄えたようである。

   写真は富田一里塚址である。ここは日本橋から98里目の一里塚で、三重県の史跡に指定されている。もっとも史跡とは言うものの往時の塚の盛土等は残存せず、碑と看板が有るのみである。

  

    

    

    富田一里塚を過ぎると古い家並みが残る道となる。旧街道はこの先の「大正天皇行啓記念」碑を右折、近鉄富田駅方面へと向かう。

   本日は桑名出発時より道標・案内板が充実していて助かったが、この近鉄富田駅付近のみ標示が無くややわかりにくい。上述の「大正天皇行啓記念」碑を右折後狭い道を通ると駅前通りに出るので、そこを左折するようにしたい。

    

    

   駅前通りは近鉄富田駅を背にするように伸びているが、程なく富田中央通りと交差するので矢印のようにマルショウ(化粧品店)のところで右折する。   

   右折した先には「四日市市富田地区市民センター」があり、この付近の旧東海道の地図が掲出されている。

    

 

    さて市民センターを過ぎると商店街も途絶えて住宅街となるが、2キロほど歩くと右写真のような松の木が見えてくる。かつてこの付近には松並木が有ったが現在は1本のみで、「河原津の松」と呼ばれている。

   河原津はこの付近の地名で「かわらづ」と読むが、1本だけ残った松を称して「変わらずの松」と解することも可能かな?などと案内板を読んで思ったりもした

    

   「河原津の松」を過ぎてしばらく歩くといったん国道1号線と合流する。右写真は「右桑名・左四日市道」を示す道標である。
  
    

    

   

   国道1号線を進行方向左側へ渡ると程なく旧街道は分岐する。海蔵川の手前、多度神社前の道を進むと川の土手に小公園があり、ここに三ツ谷一里塚がある。(日本橋から99里目)

   公園にはベンチがあり、しばし寝転がる。あぁ疲れたな…しかし四日市宿の中心部まではもうすぐだガムバレ、と気合を入れ直す!   

    

    

   さぁ四日市宿だ。旧街道は海蔵川を渡るとさらに三滝川を渡り、四日市市の中心街へと進む。この宿は港町でもあり大いに栄えたが、太平洋戦争時の空襲のため当時を偲ぶ遺跡は残念ながら殆どない。旧街道も当時の道が一部無くなり、その跡にはビルが建っている。

   止むを得ないので近くの道で迂回し、国道1号線へと出る。

  

(右:道標)

「江戸道」および
「京いせ道」の
碑文がある。 

    

    

   この先、旧街道は国道1号線を渡って諏訪神社(写真正面)の手前を左に入って行くが、残念ながら帰りの電車の時刻が近づいてきたので本日はここまでにした。

   今回は「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」で来訪しているため近鉄電車には乗れず、JR四日市駅まで歩く。ここは駅前が広々として駅舎も堂々たるものだが肝心の利用客はほんの僅かで閑散としている。いかにも町外れの駅で、遅い昼食を取ろうにもコンビニの一軒さえ無く拍子抜けしてしまった。

  →次はお伊勢参りと分岐です。