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  update 2008. 10. 25

踏 破 日 2008/10/12
コースタイム 7:30〜9:15
歩 行キロ 4.7q
累 計キロ 391.6q
踏 破 率 79.6%

 
お伊勢参りと分岐

JR四日市駅〜日永の追分
 

(前の近鉄と三岐とJRとへ戻る)

   

    朝のJR四日市駅に降り立つ。さぁ今日は亀山宿まで行けると良いのだが、前回同様帰りの電車の時間が気になるところ。

   前回の終点「諏訪神社」(右写真)からスタート、近鉄四日市駅寄りの商店街(表参道スワ栄)を歩く。この道はアーケード付きの商店街であるが、日曜の朝とあってまだひっそりとしていた。

   

    

  

    商店街はJR四日市駅と近鉄四日市駅とを結ぶ広い道路で終わり、この広い道路を旧街道は横切って直進する。すると静かな裏道となった。この付近は既に旧宿場町のエリアからは外れているが、落ち着いた雰囲気の建物も少なくない。

     

 

   旧街道は近鉄内部線(四日市〜内部〔うつべ〕)に沿うように南西への道となる。沿道は旧家が残っており、写真は格子戸の軒先脇にある木造の小さな地蔵堂である。

   近鉄内部線は単線だが列車頻度が高く、旧街道を歩いていても踏切遮断機の音が絶えず聞こえてくる。これは近鉄四日市駅〜日永駅に八王子線の電車も乗り入れていることによる。

     

  

   さてせっかくなので近鉄内部線を見てみようと思い、街道脇の赤堀駅へ行ってみる。すると右写真のような小柄な電車がトコトコとやってきた。この線区は軌間762mmのナローゲージで、近鉄名古屋線(1435mm)・JR線(1067mm)から見ても明らかに線路の幅が狭い。そのため電車の外観も縦細りでどことなくユーモラスな感じである。


     
 

   閑話休題、旧東海道に戻ってしばらく歩くと右手に一里塚跡の碑があるが、これは建物に挟まれており見落とす危険がある。(自分は今回は大丈夫だった…念のタメ。)

  ここは日永一里塚、日本橋から100里目の一里塚跡である。  

   

    

  

   この付近の旧街道は国道1号線の西側にほぼ平行して伸びているが、やがて合流する。その少し手前にかつての松並木が1本だけ残されており、脇に「東海道名残りの一本松」の看板がある。

   説明によると、かつてこの付近から少し先の泊の集落までの間には街道の両側に土手が築かれ松並木が植えられていた。しかし現在はこの1本のみが残り、名残りの一本松と呼ばれているそうである。

  

    

    

  さて国道1号線と合流した地点から少し先を見ると道が右手に分岐しているのがわかり、その地点に植込みや石碑がある。ここは「日永の追分」という、旧東海道(京方面)と伊勢道(伊勢神宮方面)への分岐点である。

   弥次さん喜多さんで有名な江戸時代の滑稽本「東海道中膝栗毛」には当時の旅の様子が描かれているが、江戸を出た彼らはお伊勢参りのためにここを左へと進んでいる。今回旧東海道を踏破する平成の旅人は右へ折れる道をとる。

    

  

   四日市駅から少々歩いたのでここで小休止、植込部分にあるベンチに腰掛ける。この「日永の追分」は四日市と石薬師宿との「間の宿」としても賑わったそうである。  

  (説明の看板はここをクリック/戻る際はブラウザの「戻る」ボタンで戻って下さい。)

左いせ参宮道

右京大坂道

  →次は蒲冠者の史跡に感慨です。